【健康探訪】心を配る/周囲に対する配慮の前にやるべきこと/魂の乗り物としてその身体は相応しい状態にあるだろうか

心を配る 健康探訪

沖縄在住の光雨ゆうすけです😊
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健康と寄り添い

ロボット開発歴15年
心理カウンセラー歴21年の経験を活かし
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その心づかいは単なる干渉になってはいないか

心を配ると書いて「心配」と読みます。

「配慮」という単語も
周囲への心づかいを意味しています。

心を配ることも、
周囲を配慮することも、

この社会における大切な作法のように、
僕たちは教えられていますが、

本当にそうなのでしょうか。

多くの人々は、
そうした心配りをきっかけに、

不安を握り締めているように、
僕には見受けられます。

とくに家族やパートナーとの間柄で、
それが顕著な気さえします。

自分をないがしろにしながら、
他人の世話をしようとしているため、

善意の配慮のつもりが、
不安を引き寄せているのだけなのではないでしょうか。

他人の心配をする前に、
真っ先にせねばならないことが

自分の世話です。

朝、気持ちよく起床できない自分が、
誰かを寝床から叩き起こしたり、

自分の偏食を棚に上げて、
野菜嫌いの家族を叱ったり、

小さいころ、自分自身が勉強嫌いだったのに、
子供に勉強を強いて、
試験の結果が良くなるようにと、
その表情に青筋を立てたり…。

こうしたものは、

心づかいでも、配慮でもない、
単なるおせっかいであり、ただの干渉です。

まずは、自分づくりからです。

あなたの魂の乗物として、
あなたの身体は、

相応しい状態になっているでしょうか。

自分自身が輝く存在になれば、
周囲の人々は、
あなたに倣わざるを得なくなります。

自身を輝かせるために何をすべきか

そうです。

僕たちひとりひとりは、
周囲の人々にとっての、
身近な「成功者」になる必要があるのです。

ここでいう「成功者」とは、
お金持ちを意味しているのではなく、

お金では買えない、
「本物の健康」を手にした人です。

そしてまた、そんな「本物の健康」でさえ、
病気にならないことでもなければ、

事故に遭わないことでも、
不安に襲われないことでもありません。

そうした問題に出くわしても、

試練を学びに変え、
その壁を乗り越えられた人こそが、
「本物の健康」を手にした人
です。

つまり「健康」とは、心身の状態ではなく、
今この瞬間のあり方以外のなにものでもありません。

最良の「今」を楽しむための、
自分づくりにこそ手間暇をかけましょう。