調和セラピー光雨のゆうすけです。
自律神経調和のカギは、
自分を大好きになること。
この投稿が、
あなたがあなたを大好きになるための、
ヒントとなりますように。
腕と脚/手と足/そのあまりにも酷似した生体構造
光雨における調和セラピーの一つに、
クラシカル・オステオパシィがあります。
この手技を習得するには、
オステオの意味する「骨」、
つまり人体の骨格について学ぶ必要がありますが、
その学びを深める中で、
素朴な疑問にぶちあたりました。
それは、
僕たち人間の腕と脚、手と足の構造は、
骨や筋肉、血流や神経組織、リンパの構成など、
どれをとっても酷似しているにも関わらず、
僕たちの文化は、
腕と脚を区別しているということです。
犬や猫は、人間の腕にあたる部分を前脚、
脚を後ろ脚と呼びますが、
もしかしたら、こちらのとらえかたの方が
理想的なのかもしれません。
あなたのその腕、その脚の先端である、
てのひらと足先について、あらためて考察してみましょう。
ちなみに、こちらの大型本は、
僕がクラシカル・オステオパシィを学ぶ際に
教科書として選んだものです。
もしあなたが、
人体の小宇宙に興味をお持ちであれば、
きっと生涯役立つ資料となることでしょう。
手袋と靴下の大きな違い
寒くなると、手袋をする人も増えます。
僕も冬場のウォーキングでは、
純綿の手袋を愛用しています。
手袋の多くは5本指仕様です。
いいかえるならそれは、
5本の指がそれぞれ自由に動く手袋です。
ですが、幼かったころ、
親指だけが分離した手袋、
足でいうところの足袋のような形の
そんな手袋をしたことはありませんでしたか。
そして、その手袋をして、
雪合戦をした記憶はありませんか。
親指の自由度は確保されているけれど、
それ以外の指は、ひとまとめになっているため、
雪の玉を作ることに、僕は苦労しました。
足先は、この問題を常に背負い続けています。
靴下の殆どは、全ての指をひとまとめにしていますよね。
つまり、てのひらと足先は、
酷似した構造であるにも関わらず、
足先の自由度は著しく失われているのです。
最近では、5本指の靴下や、
足袋状の靴下も販売されていますが、
それでも圧倒的に少数派です。
靴を履いてしまえば、
足の指の自由度は靴で制限されますので、
靴下に何を選ぼうが関係なさそうですが、
果たしてそうでしょうか。
僕は以前、その違いを実験的に体感しましたが、
明らかに脚全体の疲れに差が出ました。
5本指の靴下を履く方が、
同じ運動量でも疲れずに済むのです。
それもそのはずです。
指の分離していない一般的な靴下を履いて、
その上から靴を履けば、
足の指の自由度は二重で奪われますが、
一方、5本指仕様の靴下を履いて、
その状態で靴を履くと、
靴の中の空間的な余裕の分だけ、
足の指には自由が得られます。
それは、小さな自由度かもしれませんが、
その差が一日中靴を履く仕事の人に対して、
大きく影響しないわけがありません。
そして、習慣的に、
足の指の自由度が奪われた状態が続けば、
その窮屈な感覚(ある種の閉塞感のような苦しさ)は
潜在意識に刻まれ、
自己肯定感への悪影響もあるはずであり、
そうした状態は当然のように、
自律神経にも影響します。
たかが靴下では決してないのです。
加齢が足腰を弱らせることはない
歳をとると、
足腰が弱くなるといわれています。
ですが、電子ブック「幸せな歳巡り」に記したとおり、
フンザに暮らす人々の多くは、
人生最後の日まで畑仕事に精を出すそうです。
傾斜の厳しい土地を自由に歩き回る彼らが、
足腰が弱っているとは到底思えません。
つまり、この定説じみたことは、
日本においては、文明社会においては、…のような、
そんな前提があるのではないでしょうか。
僕もこの秋、61歳になりましたが、
同年代の仲間は自らの老後のために、
自宅のバリアフリー化を検討しているようです。
実際、転んで骨折したことがきっかけで、
寝たきりになったり、
認知症の引き金となったり、
そんなケースが珍しくないから、
彼らは危機感を抱くのでしょうが、
僕はといえば、
脚も腰も若いころと変わりなく、
毎日4キロの道をゆっくりと歩き、
段差だらけの自宅を楽しんでいます。
夏は素足で、
そして冬は5本指靴下を履いて。
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