沖縄在住の光雨ゆうすけです😊
保護猫たちと暮らす
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楽しい美味しい純菜食で
健康と寄り添い
ロボット開発歴15年
心理カウンセラー歴21年の経験を活かし
節約年金生活とブログ
そしてYouTubeに挑戦中です🔰
台所や厨房
表題となる台所や厨房は、
イメージとしては同じですが、
意味は明確に異なります。
厨房の「厨」は「くりや」とも読み、
料理や食材の調理を行う場所を示しますが、
その厨房でつくられる一皿は、
業務目的であり、
台所は家庭における、
日々を生きるための活力となる一皿を、
つくりだす場所です。
今日の投稿では、
そんな違いを論じたいのではなく、
その場所が清潔であるかどうかについて、
お話ししたいと思います。
汚れた台所や厨房
ドラマや映画、そして料理番組などで、
台所や厨房のシーンは頻出します。
それがどんなに素晴らしい作品であっても、
キッチンのシンクに洗っていない食器や、
調理器具が山積みになっていたりすると、
僕はそれ以上、
その作品と関わりたくなくなってしまいます😥
たとえそれがフィクションだと分かっていても、
汚れた台所や厨房が目にはいると、
そのときに感じる嫌悪感は、
登場人物や演出家に対する、
彼らの日常の哲学への矛盾や、
視聴者に対する丁寧さや、
思いやりの欠如と受けとめてしまうからです。
それは、
生活や仕事をおろそかにしていることと、
同義だと感じてしまうのです。
これまであまり、
分析したことはなかったのですが、
それは以下の三つの観点に対するものでした。
衛生に対する観念
台所や厨房に、
汚れが放置されているということは、
衛生管理に対する、
「意識」の低さを示唆しているように、
僕はとらえているようです。
無意識も含めた、
すべての「意識」です。
当然のことですが、
不衛生な台所や厨房は、
食中毒のリスクを高めるだけでなく、
家庭や飲食店全体に対する、
清潔さに対する配慮の欠如と感じるのでしょう。
整理整頓に対する意識
物が散乱し、
整理されていない台所や厨房は、
作業効率の悪さの原因となり、
モノを大切にする気持ちの欠如を感じさせます。
その「モノ」とは、
食材や食器、調理器具だけにとどまらず、
調理という行為そのものが、
大切にされていないことを強調してしまいます。
細部への配慮
調理器具やシンクの水垢、油汚れなどは、
日々の手入れを怠っている証拠です。
日々の手入れといっても、
使用後に簡単な拭き掃除をするだけでじゅうぶんで、
水垢にしろ、油汚れにしろ、
付着した直後は簡単に落とせますが、
時間の経過とともに落としにくくなります。
わが家の場合、
家族のための料理以外にも、
お世話をしている猫たちのために、
彼らの食器を洗い、
次の食事のための清潔さを保っています。
これは人間に限ったことではなく、
綺麗な器にのった食事は、
猫たちにも美味しそうに見えているはずです。
細部というと大げさですが、
そんな部分に目の届いていないということは、
「食」以外の何かへの配慮も欠けているのではないかと、
想像してしまうものです。
美味しい一皿を生み出す場所にふさわしく
とくに料理番組の場合、
美味しそうな一皿が紹介されていても、
背景となる厨房が汚れていると、
その料理自体も不潔なのではないかと、
疑念を抱くことはありませんか。
せっかくの料理の魅力が半減してしまうのは、
もったいないことです。
また、フィクションの世界であっても、
リアリティラインは重要です。
たとえば、
生活感のある部屋を表現したいのであれば、
多少の部屋の散らかりなどは、
許容できるかもしれませんが、
明らかに清掃が行き届いていない状態は、
単に不快感を与えるだけで、
作品に対する没入感も損ないます。
逆に、
台所や厨房が清潔で整頓されている映像に出会うと、
それだけで安心感を覚え、
その作品や番組に好感を持ちます。
それは、そこにいる人たちの、
丁寧な暮らしぶりや、
仕事に対する真摯な姿勢が、
垣間みえるからでしょう。
僕の自宅は細長く、
偶然かもしれませんが、
その中心にキッチンがあります。
おしゃれとは程遠い、
コンクリート製の小さなキッチンですが、
できる限りの清潔さを保つ努力をしていますし、
キッチン表面のペンキが少しでも剥げれば、
まめにリペイントしています。
ですからそんな場所でつくる一皿は、
そうした努力を反映することになり、
僕という主夫の姿勢を、
そのまま表現する場所になるとも自覚しています。
だからといって、
手の込んだ掃除をすることはまれで、
上述のように、
使用後の拭き掃除が基本です。
それでも毎日数回のことですので、
やっただけのことは確かにあります。
いちばんそれを感じる瞬間は、
手持ちの食材で一品作ろうとしたときです。
よいひらめきをもたらすものは、
まぎれもなくそこは、
生活の中心だからなのでしょう。