ひかりあめの暢弘です。
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わが家の家の中で暮らす3姉妹猫の長女チアは、
次女の通っていた高校の裏山に
捨てられていたところを担任教師に拾われ、
わが家に辿り着きました。
生後10日前後の、
まだ開眼さえしていない赤ちゃんで、
足腰もしっかりしておらず、
低体温状態にも陥っていました。
お湯を張ったタッパーをタオルでくるみ、
その上で寝かせると、
幸せそうにスヤスヤと眠りました。
猫用ミルクを哺乳瓶で元気良く飲み始めたとき、
そして、立派な大便をしたときには、
心底嬉しくて涙が出ました。
僕がミルクをあげているときに開眼した彼女は、
その日以来、僕のことを、
親だと確信して生きている気がします。
僕も、彼女を実の娘のように思っていますから、
この関係は本物でしょう。
あれから16年が経過し、
特に外出したがらなかった彼女は、
家猫として育ちました。
前述のとおり、彼女は外出しませんので、
毎日出会うのは人間ばかりですから、
動物病院で出会う他の動物たちに対して、
怪訝(けげん)な反応をします。
誰?アナタたち?…って、感じです。
つまり彼女は、
自分のことを猫と思っていないようなのです。
そして、最も不思議な点は、
親猫不在で育ったという背景を持ちながら、
彼女は立派な猫語をしゃべるのですが、
僕に話しかけるときだけは様子が違います。
この点について、
あまり深く考えたことはなかったのですが、
もしかすると、
僕とのコミュニケーションを通して、
彼女が身に付けた人間のことばを、
ネコの声帯で発声しているのではないのでしょうか。
そうだとすると、
説明の付くことがあります。
話し掛けて来る彼女に対して、
猫のマネをして返答するより、
普段通りの人間のことばで応えた方が、
彼女は納得の表情を浮かべる点がです。
これは、僕が猫語を喋れるようになったのではなく、
彼女が人間のことばを、
手に入れたというべきでしょう。
やれば、できるものです。
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2009年に5回目の短期留学をした際、
チアを動物病院に預けねばなりませんでした。
それは、チアと暮らすようになって、
はじめての長い旅でした。
飼い主の臭いのついたシャツを
ゲージの中に入れておくと良いとの
獣医のアドバイスに従い
僕が頻繁に袖を通していたトレーナーを
ゲージの中の彼女に託して旅立ちました。
滞在先の英国では、
慣れない英語のコミュニケーションに
疲弊したりもしましたが、
チアが人間とやりとりできるのだから
僕だって英国人と話しができる!と
言い聞かせて過ごした数週間でした。
そうして身についた僕の英語力は、
まさにサバイバル・イングリッシュでした。
おそらくチアのコミュニケーション力も
必要不可欠な環境の中で磨かれたのでしょう。
帰国後、チアを迎えに動物病院へ行くと、
彼女は僕のトレーナーを抱きしめて眠っていました。
それはまるで、
泣き疲れて眠った子供のようでした。
チアのその姿をみてから、
僕の日常から出張や旅行は消え去りました。
ずっとそばにいることで、
ひとつの命が幸せに過ごせるのですから、
後悔はありません。
もちろん、人生という僕の壮大な旅は、
今も続いています。