心を配る

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

心を配ると書いて「心配」と読みます。

「配慮」という単語も
周囲への心遣いを意味します。

心を配ることも、周囲を配慮することも、

この社会における大切な作法のように、
僕たちは教えられていますが、

本当にそうなのでしょうか。

多くの人々は、
そうした心配りをきっかけに、
不安を握り締めているように見受けられます。

特に、家族やパートナーの間柄で、それが顕著です。

自分を蔑(ないがし)ろにしながら、
他人の世話をしようとしているため、

善意の配慮のつもりが、不安を引き寄せるのです。

他人の心配をする前に、
しなければいけないコトが、
自分の世話です。

朝、気持ちよく起床できない自分が、
誰かを寝床から叩き起こしていませんか?

自分の偏食を棚に上げて、
野菜嫌いの家族を叱っていませんか?

小さい頃、自分自身が勉強嫌いだったのに、
子供に勉強を強い、試験の結果が良くなるようにと、
その表情に青筋を立てていませんか?

こうしたモノは、
心遣いでも、配慮でもない、

ただのおせっかいであり、干渉です。

神様も、隣人を愛せとおっしゃいましたが、
心配せよとはおっしゃっていません。

まずは、自分作りからです。

あなたの魂の乗物として、
あなたの身体は、相応しい状態になっていますか?

自分自身を輝く存在にすれば、
周囲の人は、あなたに倣わざるを得なくなります。

僕たちひとりひとりは、
身近な成功者の一例となる必要があるのです。

成功者とは、お金持ちではありません。
お金では買えない、本物の健康を手にした人です。

そしてまた、本物の健康でさえ、

病気にならないコトでもなければ、
事故に遭わないコトでも、
不安に襲われないコトでもありません。

そうした問題に出くわしても、
試練を学びに変え、
その壁を乗り越えられる人こそが、

本物の健康を手にした人です。

Scroll to top