自分への褒美

蒸気機関が発明されたとき、
当時のアナリストたちは、

こぞって、ある予測を立てました。

それまで、人間や家畜の力で行っていた作業を、
「動力」を持つ「機械」が行う時代が訪れ、

未来への希望に、胸を躍らせたのです。

当時の彼らの予測では、
機械による産業が定着すれば、

人間が肉体的な労働力を提供する時間は、
それまでの数パーセントにまで圧縮され、

その分、我々はクリエイティブな仕事に、
従事できるようになるだろう!

…と、考えたのです。

この考察は、単なる希望的観測などではなく、

当時の科学者や経済学者も参加して、
まじめに討議された内容だったのですが、

その後100年以上経った今、蓋を開けてみても、
僕たちの労働時間は減ってはいません。

なぜでなのでしょう。

世界は新たなニーズを創り出し、
僕たち一般庶民がクリエイティブな時間を楽しめぬよう、
新しい筋書を整えてしまったからです。

判りやすい例が、コンビニエンス・ストアです。

確かに便利なサービスなのかもしれませんが、
本当に必要なのか?という質問に対して、
素直に認められない人も、多いのではないでしょうか。

これだけ歴史が浅いにも関わらず、
コンビニ文化は、世界中に定着しています。

マスコミによる「便利さ」の洗脳によって、
少量多品種生産を良しとする経済状態が、
当たり前となってしまったのです。

その結果、僕たちは時間に追われる日々を送るコトになり、
その反動で消費に熱心な人々も増えました。

クリエイティブとは縁遠い世界観のひとつが、
こうして出来上がったのです。

最近は、小さな子供たちまでもが、
自分へのご褒美…のような言葉を遣って、
普段「頑張っている」自分を正当化させています。

この「頑張る」という単語は、
僕たちは両親や教師から、散々浴びせられて育ちました。

そのため、頑張るのが当たり前で、
縦社会の中で従順に労働力を提供し、
自分への褒美が必要になってしまったのでしょう。

自分が、自分の夢の実現のために、
「頑張る」コトはストレスにはなりません。

実際、これは「頑張る」のではなくて、
「夢中になる」と、言い替えるべきでしょう。

ですが、自分ではない誰かのために、
組織のために「頑張る」となると、
途端に潜在的なストレスとなり、無意識を汚染するコトになります。

そのため、そうしたストレスを発散させるために、
特別な消費が必要になり、

それを「自身への褒美」と、
見立てねばならなくなったのです。

問題は、それによって、
僕たちの無意識が卑屈になってしまったコトです。

ですが僕たちは、一人の例外もなく、
素晴らしい存在であり、

誰もが自分の魂の欲する生き方に、
理屈抜きで素直であるべきであり、

そんな生き方が普通であれば、
自分への褒美も、不自然な消費も必要ありません。

誰かのために頑張る必要はなく、
人生とは、自分を中心とした挑戦の繰り返しであって、

結果ではなく、そのプロセスを、
五感を通じて楽しむためのモノなのではないでしょうか。

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