なぜ人々は天寿をまっとうできずに医療のもとで病死を迎えるのか/長寿の地フンザに学ぶ病気知らずの健やかな人生

ひかりあめの暢弘です。
当ブログにご訪問頂き、有難うございます。

僕の暮らす「北中城村」は、行政的には「村」ですが、
その長閑な響きとはアンバランスな施設が、
今を去る、3年前にオープンしました。

米軍施設だったゴルフ場が村に返還され、
そこに超大型ショッピングモールと、
大型病院が隣接するカタチで営業を開始したのです。

利用者の流れの異なるこの二大施設は、
駐車場を融通し合うなどをしながら、

まさに何でも揃う、
何でも出来る便利空間を演出していますが、
果たして本当にそうなのでしょうか。

現代医療は成功している?破綻している?

あなたへの質問です。

現代医療は、完全に機能していると、
あなたは、お思いでしょうか?

そもそも医療とは、何でしょうか?

医療とは、病気や症状を治す、
国の支援する合法的なシステムに決まっているし、

遺伝子操作まで可能な現代医療が、
機能していないはずがないと、
確信する人も少なくないのかもしれません。

ですが、仮に現代医療が上手く機能しているのなら、
病人の数は減少傾向にあってしかるべきです。

しかし、残念ながら、
実際には全く逆の現象が起こっています。

わが村の大型病院の例に留まらず、
日本各地の医療施設は、どこも超満員で、

おびただしい数の患者さんたちが、
それらを定期的に利用しています。

それらの施設内を覗くと、
診察の予約をとって訪れた患者さんたちがひしめき、
ドクターの診察を、今か今かと待っています。

予約来院でありながら、
長時間待つことに疑問を感じる様子もなく、

中にはそんな診察の待ち時間に、

施設内のファストフードショップで、
砂糖たっぷりのドーナッツをほおばる
お年寄りの姿まで見つけることができます。

そして、診察が終われば、
会計を済ませるための順番待ちです。
会計が済めば、次に目指すのは院外薬局でしょう。

薬の院外処方が当たり前となった昨今では、
ドクターから処方される薬は、
院外の薬局で手に入れる必要があるため、
患者さんたちは移動を余儀なくされます。

ちなみに前述のショッピングモール内にも、
処方箋を受け付ける薬局があって、
ここにもビジネス上の遣り繰りの構図が存在しています。

何から何まで、システマティックに
機能しているようにも見えますが、

大きな矛盾に気付かぬまま、
僕たちはそうした商業ベースの流れの中にいるのです。

現代医療は患部を直接治療する

先の質問に戻って、医療とは何か再考してみましょう。

医療とは、病気や症状を治す仕組みのように見えますが、
彼らが目指すものは「患部の沈静や緩和」であって、
「平癒や根治」ではありません。

例えば、あなたが風邪をひいたのなら、
医療機関では症状に見合った薬が処方されます。

一方、ちまたのドラッグストアでは、
風邪の初期症状に万遍なく効く、
総合感冒薬しか手に入りません。

医療機関であれば、
発熱が顕著なら熱を下げる薬が、
喉に痛みがあるのなら喉の炎症を和らげる薬が、

ピンポイントで処方されるのですから、
効果を感じないはずがありません。

はやく結果を求めたい現代人にとって、
患部を直接治療する現代医療のこうした在り方は、

実に好都合なのです。

しかし、あなたが風邪をひいたのには、
その背景となる出来事があったはずです。

風邪の症状を何度和らげたところで、
同じ出来事と遭遇すれば、

あなたは、また病院へ行かねばなりません。

つまり、あなたが風邪をひくきっかけとなった、
免疫力を低下させた何かを、

あなたの生き方から遠ざけない限り、
何度でも病院へ行くことになるのです。

この生き方の癖との決別こそが、
病院から縁遠くなるために、どうしても必要なことです。

ひかりあめの提供する調和療法は、
どんな病気や症状であっても、

病を平癒させることを目標に掲げますが、
効果を感じるためには、一定の時間が必要となります。

生き方のシフトを提案し、日々の積み重ねの中で、
病気にならないご自身を目指して頂くのですから、
一ヶ月単位の時間を要します。
※基本となる目標は3ヶ月です

心身に表出した症状は、
生活習慣に潜んだ生き方の問題が
アウトプットされただけに過ぎませんから、

原因を無視して症状を癒すだけの
現代医療のスタンスでは、
症状が再発するのは当然ですし、
投薬が永遠に続くことも避けられません。

そうした、一見手っ取り早いのだけれど、
平癒には程遠い現代医療を選ぶのか?

それとも、時間と手間をかけて、
日々の生活を自然則に沿わせることを通して、

人間力や生命力を高め、
結果として問題となる病気や症状を手放すのか、

その選択はあなた次第なのです。

生き方を直視せず受ける健康診断に意味はあるのか

このように現代医療は、問題の原因を無視した、
患部の直接治療に特化した、
矛盾をはらんだシステムなのですが、

さらに不思議なモノがあります。
それは、健康診断です。

早期発見、早期治療!を合言葉にした健康診断は、
無料で受けられるケース(実際には税金で支払っていますが)も多く、

健康維持には、なくてはならない、
便利なモノのようにも見えます。

「そのとき」の自分の身体状態を医学的に知って、
何等かの問題があれば、通院して再検査し、

治療と称した緩和処置や、薬の処方が始まれば、
平癒への道が開かれるように感じる人は、
少なくないのではないでしょうか。

ですが、「そのとき」が
「数日前の単なる延長」でしかない、

つまり、生き方を何も見直さずに、
身体にとって、良いとは言えない衣食住とともにあって、

心理的な成長もないのであれば、
心身が良好であるはずはありません。

そうした状態の中での「そのとき」に、
医学的な異常が見つからなければホッとし、
見つかればガッカリするだけの健康診断なら、

単に病院に通い始めるキッカケと、
出会おうとしているだけにすぎないのではないでしょうか。

スポンサーありきのマスコミに踊らされるまま、
信頼性のない健康情報を鵜呑みにして生きていれば、
人生のどこかの時点で大病を患ったり、

幸運にも大病ではなくても、
血圧やコレステロールをコントロールする薬を
毎日飲むはめになってしまえば、

それは人生最後の瞬間まで
続くことを意味するのと同じなのです。

そして、こうした傾向は、皮肉にも先進国が顕著で、

そうした国々の人々は
医療に生かされる人生の終盤を自動的に選び、

天寿をまっとうすることには、
到底いたらないのです。

何もない地方「フンザ」

パキスタンの北端に位置するフンザは、
中国、アフガニスタンと国境の接する場所です。

6つの山脈が集中し、山々の高さは6000メートルに達し、
7500メートル超のラカポシ山のようなものまで存在します。

フンザの人々は、岩の塁壁に囲まれた肥沃な山あいに暮らし、
この2000年間、外界との接触が殆どありませんでした。

それは、彼らの暮らす谷を取り囲む道が、
道として機能しておらず、一年中危険だったからです。

1964年、アメリカの有名な心臓専門医だった、
ポール・ダドリー・ホワイトは、

生涯を通して心疾患とは無縁で、
非常に長生きするフンザの住民を自ら確かめるために、
携帯用心電計を持って、その地を訪ねました。

フンザの人々は、誕生の記録を持たないので、
正確な年齢を特定することはできなかったのですが、

血圧や血中コレステロール値を調べ、
心電図もとりました。

その結果、彼が調べた最も高齢者の中にも、
心疾患の気配さえ、まったく見つからなかったのです。

また同じ頃、フンザ人の視力に魅せられた、
アメリカ人検眼士アレン・E・バニクが、

その地を訪ねた時の感激を、
以下のように自著にまとめています。

 何世紀も生き抜いて来たこの部族は、
 驚く程の活力と体力を持っている。

 外界と殆ど隔絶していた2000年の間に、
 彼らは寿命を大いに延ばす生活や食事、
 思考や運動様式を発展させたようだ。

 彼らには金がないが、貧困も病気もない。

 この土地の住民は、清浄な身体だけでなく、
 誠実さと相互の信頼を享受している。

 フンザの人々は頑健で病気にならず、
 比類なき長寿を誇っている。

 多くの高齢者が仕事を続けているし、
 アメリカでよく見かける老いの兆候が
 まったく見られないことは驚きだ。

フンザの人々の食生活

フンザにはアンズ園が多く、
殆どの世帯がアンズの木を育てています。

彼らの自慢の地味豊かな段々畑の多くは、
アンズをはじめとした沢山の果物を育てており、

収穫期は生食しながら乾燥させ、
冬場には乾燥させたものを様々な料理に使います。

またフンザには、牧草地に適した土地がないため、
畜産は不可能に近く、

動物性蛋白質の摂取は、
羊や山羊の乳から作った発酵ミルクを飲むだけで、
住民が肉食することは殆どありません。

フンザの成人男性の一日のカロリー摂取量は、
1900キロカロリーで、その99%が植物性です。

炭水化物からは73%、脂質からは17%、
蛋白質からは10%のカロリーを摂取します。

少量の自然塩は摂りますが、
砂糖や加工食品は全く口にしません。

そのため、これらの食事情から、
肥満や病気とは無縁なのです。

医療に頼る日本の老人と自然に生きるフンザの老人

フンザ人の健康を支える背景を
垣間見て頂いたところで、目線を日本に戻しましょう。

忙しい現代人の横行する首都圏も、
僕の住む沖縄の片田舎も、
食文化に多少の差はあれ、フンザのそれとは
あまりにも違うことは言うまでもありません。

僕の実家は1500キロ離れた埼玉にあって、
隣接する東京と文化的な差を殆ど感じない場所です。

数年前に86歳で他界した父は、
80歳のときに脳梗塞で倒れる直前まで、
日本中を股にかけて活躍した営業マンでした。

最後の最後まで愛する仕事を楽しんだ、
幸せな人生を送った典型のような人でしたが、

脳梗塞を発症するまでの数十年間は
インシュリン注射を欠かさずに過ごし、

その後何度か入退院を繰り返したあと、
最終的には2つの癌を併発し、病院で亡くなりました。

彼の最期を看取った母親は、今も健在で、
明るくユーモアたっぷりな人なのですが、

血圧とコレステロール値が高めで、
それらの治療のために服用する薬の副作用から、
認知症傾向が年々顕著になっています。

また、7年前に大腸癌の手術をした際、
かなりスマートになったのですが、
今では再び、貫録十分な体型に戻ってしまっています。

このように二人とも、ストレスの多い現代にいながら、
心理的にはストレスフリーな生き方を選べた、
幸福な人たちなのですが、

身体的には「医学的に生かされていた」と言えます。

年をとってからも、
フンザの人々の150%前後のカロリーを摂取し、

その半分近くが動物性で、
カロリーの殆どを蛋白質と脂質から摂取し、
砂糖も加工食品も手放しませんでした。

何でもある便利な国で、
メンタル的にも良好であったにも関わらず、

フンザの長寿とは程遠い印象を受けるのは、
僕だけではないはずです。

人生を完全燃焼するために足りないモノ

ここまで読了されたあなたなら、
この問いに対する答えは、すでに見つけられたことでしょう。

僕たちの生活には、足りないものは何もありません。
どうやら、逆に有り過ぎるのです。

便利な暮らしに、すっかり慣れ親しんだ僕たちは、
フンザの人々のような生き方は、
選べないかもしれませんが、

天寿をまっとうし、
人生を完全燃焼するためのヒントとして、
その多くを活かせるのではないでしょうか。

僕の場合、健康のためにではなく、
動物への愛から純菜食者になりました。

そして、数十年間患った、
喘息と乾癬の自己治療のために、
グルテンフリーを選び、そして少食にもなりました。

また、無意識を浄化する目的で、
マスコミ断食も続けています。

そんな僕は、この沖縄の地で、
自然則に沿って生きることで、
天寿をまっとうする気、満々なのですが、

果たしてフンザの人々のような最期を、
迎えることができるのでしょうか。