半世紀悩んだ喘息と乾癬との決別/食養生と入浴方法の改善で薬を一切使わず難治性疾患を快癒させる

ひかりあめの暢弘です。
当ブログにご訪問頂き、有難うございます。

今日の投稿では、幼少時代から続いた難治性疾患を、
食養生と入浴方法の改善で
快癒させたお話しをさせて頂きます。

その疾患とは、喘息と乾癬でした。
※以下、Wikipediaからの引用です

喘息…慢性の気道炎症(好酸球性炎症が典型的であるが、好酸球以外の炎症性細胞が主体の表現型も存在する)、気流制限(典型例では、通常、可逆性あり)、気道過敏性の亢進を病態の基盤に有し、発作性に、呼吸困難、喘鳴、咳などの呼吸器症状をきたす症候群である。
乾癬…典型的には、赤い発疹とその上に白色の鱗屑を伴う発疹が出現する。病変部は周りの皮膚より少し盛り上がった状態へ移行し、大きな紅色局面を形成する。頭皮、膝、肘など外部からの刺激が強い部分に出来やすいが、眼球と口唇以外ならば全身どこにでも発疹が出現する。

前者の喘息は、アレルギー性疾患としても有名で、
僕の場合は、カビと埃、花火などの硝煙に反応して発作を起こしていました。

また、季節の変わり目などでも、
風邪から喘息になるケースも多く、
特に年越しの時期は、毎年絶不調でした。

後者の乾癬の方は、そこまで有名ではありませんが、
皮膚科医から一生完治はないとまで言われた、
やっかい極まりない皮膚病です。

乳離れと同時に喘鳴が表れはじめる

母親の記憶では、僕は乳離れした頃から、
喘鳴(喘息の初期症状)が表れるようになったそうです。

出生時は東京の目黒に住んでおり、
満2歳前に埼玉県南部の入間市に引っ越したのですが、

田舎に暮らすようになっても喘息は改善せず、
幼稚園に上がるころには、発作は益々酷くなりました。

そして小学校に上がってからは、
頭皮にフケが表れはじめたのですが、

それはフケと勘違いされた乾癬(後述します)でした。

母親に連れられ、都内の小児喘息専門病院へ行くと、
アレルギー性喘息と診断され、

漢方薬や吸入薬と一緒に、減感作療法まで処方されました。

減感作療法とは、少量のアレルゲン物質を、
注射によって、定期的に体内に投与する治療方法です。
※通常は1~2週間隔

言い替えるなら、身体をアレルゲンに慣らして、
過剰反応させない免疫力を養おうとするものですが、

この療法を半年以上継続しても、
発作の頻度が少なくなる気配は全くなく、
吸入薬は常に手放せませんでした。

母親の潔癖がアレルギー体質を悪化させる

僕のアレルゲンとして特定されたカビと埃を、
異常に気にするようになったのは、
僕ではなく母親でした。

息子のアレルゲン検査結果がショックだった彼女は、
検査後は何でも消毒するようになりました。

家中を逆性石鹸で拭き掃除をする徹底ぶりが、
かえって僕を、アレルゲン過敏にさせたのです。

昨今では、家庭用除菌グッズが花盛りですが、
アレルギー性疾患やアトピー症状を持つ子供の家庭は、
消毒のし過ぎが指摘されるようになりました。

当時の僕の家も、まさにその過剰除菌が日常的に行われ、
外出時も彼女のハンドバッグには、
携帯用の除菌脱脂綿セットが準備されていました。

また、何をやっても症状の改善しない僕のために、
母親は色々な民間療法を見つけて来ました。

その中で最も衝撃的だったのは、
新聞好きの母親が記事から拾ってきた、
生きたナメクジを丸飲みする荒療治でした。

自宅の風呂場にいたナメクジを飲ませようとする彼女に、
僕は泣き叫んで拒否したのですが、
「とにかく一度だけ」と強引に飲まされました。

そんな療法に効果があるわけもなく、
2回目の丸飲みが無かったのは救いでした。

50年前の教育現場は喘息に対する理解が無かった

小児喘息は、今でこそ、
随分と教育現場でも理解されていますが、

半世紀前となる僕の小学生時代は、
喘息持ちは根性無しの代名詞のように扱われ、

気合が足りないからと言う理由で
無意味にしごかれて悪化したことも少なくなく、

無理解な引率教師に連れられた
修学旅行先のカビ臭い宿泊先で発作を起こしたときは、
死を覚悟したくらいでした。

毎回、辛い思いをせねばならなかった喘息の発作は、
高校に通い始めた頃から徐々に和らいだのですが、

結婚して生活環境が大きく変わった22歳の時に再発し、
それから自己治療に切り替える50歳前まで、

改善する気配の全く無い対症療法が、延々と続いたのです。

自己治療の第一歩/純菜食へのシフト

フラワーレメディと出会い
自然療法の素晴らしさを知った僕は、
50歳を目前にして、喘息の自己治療を決意します。

その初めの一歩は、食養生でした。

もともと、僕は動物を愛する人間です。
動物の形をしたお菓子が、可哀そうで食べられなかったり、

理科実験の解剖目的で飼育されていた蛙を、
全部逃がして教師から張り手をくらった子供でした。

ですが、僕がどんなに動物を愛していても、
子供が毎日の献立を決めることはできません。

母親の用意する食事を、好き嫌いせず、何でも食べていました。

特に母親は、当時のマスコミに完全に洗脳されており、
喘息持ちのひ弱な息子に体力をつけさせようと、
毎日の食事は肉食中心でした。

体力の無い子供に、消化吸収の悪い酸性食品ばかりを
与え続けたのですから、
僕のアレルギー体質は悪化の一途だったのです。

そんな僕でしたが、知人からプレゼントされた
「エコロジカル・ダイエット」に衝撃を受け、

衣食住のすべてにおいて、
動物を傷付けない生き方を自ら選択したのは、
満50歳を迎える数か月前のコトでした。

純菜食へのシフトのための一歩目は、
毎日の食事から、肉、魚、
乳製品、卵を排除することでした。

これだけでも、発作の回数は確実に減りましたが、
アレルゲンだったカビと埃、
そして、花火などの硝煙に過剰反応する体質は相変わらずでした。

レベルアップする純菜食とその背景

次のステップは主食の変更でした。

白米から雑穀米や分づき米、玄米へと切り替え、
それと同時に、精製砂糖の摂取も止めましたが、
喘息の顕著な改善はなく、

続いて小麦を排除する
グルテンフリーにも切り替えましたが、
これも喘息への効果を感じることはありませんでした。

グルテンフリー・ダイエット…小麦をはじめとした、穀物のタンパク質の主成分であるグルテンを除去した食事法。もともとグルテン除去食は、セリアック病や小麦アレルギー(食物アレルギー)、小麦の消化や代謝不良等(グルテン関連障害)を改善するための食事療法の中で取り入れられてきた。

それでは、なぜ僕は、
喘息への好転を感じない純菜食生活を
止めなかったのでしょうか。

もちろん、動物を愛しているからに他ならないのですが、
それとは別に、ある驚くべき変化があったのです。

この投稿の冒頭で、僕が小学校に上がってからは、
頭皮にフケが表れはじめた…と書きました。

僕のその頭皮の症状を、フケと信じていた母親は、
生命の危機にもなりかねない喘息と比べたのでしょう、
それを全く問題視していませんでした。

ところが、結婚して生活環境が変わり、
喘息が再発したのと同じタイミングで、

頭皮にあったフケのような症状は、
身体中に広がりはじめたのです。

頭皮の白いカサブタは、フケなどでは無かったのです。

何件目からの皮膚科で、
それが乾癬という難治性皮膚疾患であると判りました。

担当医からは「乾癬には完治はない」とまで言われ、
ステロイド外用薬が数種類処方されました。

服用薬もあるが、不妊のリスクが高いと説明され、
そちらは、さすがに拒否しました。

外用薬を塗れば、症状は一時的に消えるのですが、
原因が消えたワケではありませんから、翌朝には再発します。

こうして、また、改善の見込みのない対症療法が、
僕の生活に増えることになったのです。

純菜食で激減した乾癬の患部

ところが、僕が純菜食に切り替えると、
そのやっかいな乾癬の患部に、大きな変化が表れました。

動物食を排除し、主食を変え、砂糖を止め、
グルテンフリーにもなるなどと、

純菜食のレベルが上がるたびに、
乾癬の患部は、目に見えて減りました。

喘息の治癒には、大きな進展はなかったものの、
乾癬の患部が小さくなったり、無くなったりしたので、

僕は自分の食養生に自信が持てたのです。

後から判ったことですが、乾癬の「癬」という字は、
病ダレの中に、魚(海や川の肉)と羊丘の肉があります。

それはつまり、動物食のもたらす疾患を意味する字なのです。

こうして、僕の動物愛から始まった純菜食が、
「癬」の字の負のエネルギーを、封印し始めたのでした。

自己治療の第2段階/減食生活

純菜食生活が落ち着いた頃、
オステオパシィを身に付ける目的で始めた減食生活によって、
僕の喘息は、大きな変化を見せることになります。

前回の投稿でご紹介した、パニック障害克服の際も、
減食に多大な治療効果を感じていましたので、

習慣的に減食に取り組めば、
身体が良い反応するのではと思ったのですが、

喘息の思わぬ好転に背中をおされ、
減食生活が楽しいものへと変わっていきました。

減食の最初のステップでは、
朝食をグリーンスムージー、昼食を具沢山のスープにし、
夕食のみ普通のボリュームの食事を摂りました。

そうすると、花火などの硝煙に対する過剰反応が消えたのです。

食事量を減らしたことで、
お腹の鳴るシチュエーションが増え、
空腹をしっかり感じる気持ち良さも気に入っていましたが、

あきらかに喘息の発作の原因となる
反応が減ったのですから、嬉しさも倍増です。

そして、この頃には、
乾癬の患部も頭皮だけに激減しており、

また食事量が減ったことで、胃が小さくなったのか、
夕食の量も少なく済むようになりました。

自己治療の最終段階/塩浴と水シャワー

そして同居している肌の敏感な次女が、
ナチュラルなスキンケアを模索する中で手にした本から、
僕は新しい入浴法に出会います。

これが僕の喘息に、トドメを刺したのです。

それは、「塩浴生活をはじめよう!」という本でした。

この入浴法では、入浴の最後を常温の水シャワーで締めます。

この本の中における水シャワーは、
適量の皮脂を皮膚に定着させることが目的でした。

経口、経皮から取り込んだ毒を排泄させることで、
乾癬の治療に役立つと確信して、
僕は水シャワーの実践を決めたのですが、

その選択が喘息体質を改善させる結果となったのです。

混合水栓のシャワー設備があれば、
温かいお湯の状態から、徐々に水温を下げられますので、
身体に負担なく水シャワーは楽しめます。

来る日も来る日も水シャワーを浴び、
入浴後に身体がポカポカする現象が面白く、
冬でも楽しく続けることができました。

そして、その年の冬の大掃除で、
アレルゲンのはずの埃に、過剰反応しない僕に気付き、

翌年の梅雨明けには、
カビにも全く反応しない僕に気付いたのです。

こうして僕は、喘息の自己治療にも勝利しました。

玄米菜食へ切り替え、食事量を減らし、
水シャワーを毎朝浴びる、たったこれだけのことで、

長かった喘息との生活を、
あっさりと終わらせることができたのです。

減食生活と乾癬平癒のプロセスを振り返る

また、こうした、僕の減食生活と、
乾癬の好転との関係を振り返ってみると、

もうひとつ大切なコトがありました。

自分の身体を使って、様々な食養生の実験をしたのですが、
良い結果を感じなかったモノもあったのです。

それは、ローフード生活でした。

ローフード…酵素を含む食べ物を多く摂取すれば体に良い効果があると考え、加工されていない生の食材を用いた食品、あるいは食材を極力生で摂取する食生活のこと。食物が持つ、加熱によって失われがちな酵素やビタミン、ミネラルなどを効率よく摂取することを目的とするため、酵素が破壊されないとされている摂氏48度以下でならば加熱してもかまわない。

酵素を効率的に摂取する考え方が気に入り、
数週間実践したのですが、

効果を感じないだけでなく、食事が楽しくなくなり、
続けることが苦しくなってしまったのです。

そんなローフード生活とは対照的に、
小麦を排除するグルテンフリーは、
はじめて数日後には良い結果(乾癬患部の好転)を体感でき、

発酵食品を積極的に活用する食べ方も、
乾癬と決別する決め手となりました。

グルテンフリーにしろ、発酵食品摂取にしろ、
双方とも腸内環境を改善させる食養生です。

腸内環境が良くなれば、良い血液が作られますし、
その血液が身体を循環して、細胞になるのですから、

ある意味、どんな慢性疾患に対しても、
これらは最強の食養生であると言えます。

また、これに加えて、減食生活で感じる空腹感が、
細胞再生時に生命力を高めるDNAをオンにします。

こうしたミラクルの数々が重なって、
皮膚科医から不治を言い渡された乾癬とも、
僕は完全に決別できたのです。

なお、こうした食習慣の見直しによって、
様々な恩恵を見込めることは確実ですが、

閉経前の女性の食養生に限っては、
その方の体質や状態、環境に応じた、
最適な方法がありますので、

自己流で始めたりせず、必ずご相談下さいね。