葛藤を手放すために

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

(カズラ)と藤(フジ)という、
ふたつの植物を並べた言葉が「葛藤」です。

これらは、いずれもツル性植物ですが、
異なるふたつの植物が、
もつれ合い、混乱した状態を表現しています。

魂が肉体に宿り、
時空の制限を受けて生活をしていると、

魂の成長過程における、ある瞬間において、
自らの信念に反した行動をしてしまった時、
この混乱が起こります。

本来、人間の本質は、
すべての可能性に向けてオープンであり、

おおらかさと柔軟さが、相応しい選択を行い、
見事なまでの適応力が、
さらなる成長を約束するはずなのですが、

なかなか、こうはなりません。

逆に、こうした反応を、
当たり前にこなせるようになるコトを、
「覚醒」と言うのです。

葛藤を放っておくと、
生命エネルギーの流れがぎこちなくなり、
緊張した部分が病気になったり、何らかの症状が現れます。

ということは、

覚醒した聖人にならずとも、
葛藤と決別する方法を体得すれば、
僕たちは健康を手に入れられるのです。

葛藤を生み出すモノは何でしょうか。

それは、偏見です。

魂は、自分がどこへ行って、
何をすれば良いかを、いつも知っていますが、

外部からの情報を五感を通じて得る身体感覚意識は、
五感の感度や、社会に対する認識の違いから、

例え同じモノに出会っても、
人によって様々な反応をしてしまいます。

偏って感じ取り、
偏った分析をし、
偏った反応をしてしまうのです。

これが偏見です。

賢者たちは、
「偏見を捨てなさい」と言いますが、

偏見は、社会や集合意識の奥底に棲み付き
まるで信念のように振舞うため、
認識して取捨選択するコトは困難です。

こう説明すると、もう抜け出せない迷路に、
入っているかのように思われるでしょう。

しかし、そうではありません。

葛藤は、僕たちが自分らしさを知るために、
神様が用意したチャンスなのです。

物資的な、そして感情的なこの社会で、
自らを取り戻すきっかけとして提供されたモノが
葛藤という苦悩だと考えてみましょう。

苦しいから、抜け出そうとしますね。

もし、苦しむこともなく、もがくこともなければ、
何も取り戻すコトができず、
泥沼に埋没し、閉じ込められてしまいます。

つまり、ジタバタ苦しむことは、
価値ある行為なのです。

ですから、聖人の域に達することなく、
偏見を捨てるためにすべきことは、
自分の判断に対して客観的にならねばなりません。

例えば、あなたはAさんが気に食わないなら、
Aさんを支持する人々の意見を、
敢えて聞いてみて下さい。

こうすることで、Aさんに対する、
あなたの向き合い方を知るコトができます。

その結果、いかにあなたが、

偏って感じ取り、
偏った分析をし、
偏った反応をしていたかを、

思い知るでしょう。

ここで浮かび上がったモノが、
あなたのしがみついている信念です。

あなたなりの基準があり、こだわりがあり、
それをもとに判断していたコトが、
客観的に判ります。

そして、その瞬間から、
あなたの判断に変化が現れます。

これこそが、小さな「覚醒」です。

この取り組みを積み重ねるコトで、
あなたの波動は上昇し、
葛藤の無い人生を楽しめるようになるでしょう。

この水瓶座の時代は、
こうした流れを助けてくれるはずです。