笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

種という存在を、改めて見つめてみましょう。

例えば、親しみやすいドングリは、
この小さな一粒が、
やがて樫の木に育ちます。

もちろん、条件が揃わなければ発芽しませんし、
発芽しても、生育環境が整わなければ木にはなりません。

生育の途中で、虫や鳥、
その他の動物に食べられてしまうこともあります。

ですから、1本の樫の木は、
沢山の条件をクリアし、難題を乗り越えて育った、
一粒の種の大成果なのです。

そして、当たり前のコトですが、
ひまわりの種から、樫の木が育つこともありません。

まるで、僕たちの人生と同じです。

創世記第一章の中で、神は言われました。

 地は青草と、種を持つ草と、
 種類に従って種のある実を結ぶ果樹とを
 地の上に生えさせよ。

このように、
種という存在に拘って、
神は生命を創造されたのですが、

同時に、物事は必ず因果として繋がり、
行為をすれば結果が生じるという
世界の秩序までをも創造されたのです。

身体という乗物を得た個々の意識たちの、
その在り方が人生に招き入れるものを決定する仕組みは、

天地創造の3日目には、
すでに生まれていたのです。

ですから、僕らがその使命をまっとうするためには、

沢山の条件をクリアさせ、
難題を乗り越えねばなりません。

言い換えるなら、受身のままでいることは、

発芽できない種や、
育つことのできない苗や、
捕食されてしまう草として、

一生を終えかねない、ということになります。

そして、望む結果を生むためには、
相応しい行動が必要だということでもあるのです。

クリアしなければならない条件が多過ぎたり、
乗り越えねばならない難題が、
とてつもなく大きかったりしますが、

途方に暮れている場合ではありませんね。

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