待つ、楽しさ…

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

花療法(フラワーレメディ)を開発した、
エドワード・バッチは、とても短気な人だったようで、

彼に関する様々な逸話の中で、
色々なカタチで、その性格に触れるコトができます。

そんな彼が、最初に製薬した「インパチェンス」は、
自分のために作ったレメディとして有名で、

それは、短気で、せっかちで、
待てない人のためのレメディなのですが、

かつての僕も、彼に負けないくらい、
短気で、せっかちで、待てない人間でしたので(笑)

ご覧のインパチェンスのレメディは、
僕の傍から、常に離れずに在り続けました。

写真のこのボトルは、

使い終えたストックボトル(調合用の原液)の空き瓶を、
インパチェンスを服用するための、
自分専用のドースボトルとして、使い続けているモノです。

インパチェンスという植物は、
その日本名はホウセンカですが、

僕らの知る、日本のホウセンカとは、
姿もカタチも、そして大きささえも、全く異なります。

種の入った鞘(さや)が裂け、
中の種が、四方に飛び散る様が、

まるで、辛抱できない(=インパチェンス)人のように見えたため、
こんな不本意な名前が、植物名として定着してしまいました。

残念ながら、エドワード・バッチは、
木星期中盤に亡くなったため、

人生の総決算となる土星期を、
楽しむコトができなかったワケですが、

僕が今日、この場で何を言いたいかと申しますと、
自他共に認めるインパチェンス・タイプの僕だったけれど、

土星期を迎えて、すっかり落ち着いてしまった!
…という点を強調したいのです。

つまり、今日の表題にある通り、
待つ、楽しさ…を、知ってしまいました(笑)

短気で、せっかちで、待てないインパチェンス・タイプは、
気が付くと、周囲に誰もいません。

ですが、そんな自分の人生に、半世紀以上費やすと、

待つコトに対して、
別の側面を見出す余裕が生まれるようなのです。

つまり、「待つ」という状態は、

自分は一人では無いという、
素晴らしい背景と共にあるコトを意味しています。

誰か、あるいは何かと、同調しているからであって、
言い替えるなら、少なくともその瞬間は、

何等かの孤立していない状態である!…というコトなのです。

逆に、待てない状態とは、

周囲に合わせられない…というだけでなく、
それによって、一方的に独り善がりな合理性を求め、

そうした結果として訪れる孤立に対しても、
なかば甘んじて受け容れてしまっているのですが、

待つ…というシチュエーションに恵まれたとき、

誰かと、あるいは何かと、
それは、何等かのタイミングを共有しているのだ!

…という事実に気付けると、

過去に散々味わったはずの孤立や、
それと引き替えに手に入れた達成感さえも、

単なる味気無いプロセスとゴールにしか、
見えなくなってしまったのです。

レストランで、誰かがメニューを決められずにいる、

そんな時、今の僕は、
周囲の人間観察を楽しみながら、

食事のお相手の気の済むまで、
何時まででも待つコトができます。

道路で交通渋滞に遭遇しても、
合流する車両に、道を譲る余裕もありますし、

誰かが約束に送れても、その遅れた理由の中に、
神様のユーモアを見つけるコトもできます。

待つ…という、その行為を通じて、
タイミングを共有している誰か、あるいは何かと、

さらなる高みを、
目指せる気がしてならないのです。

だから、短気ではないし、せっかちでもないし、
待てる人間になっているのですが、

このインパチェンスを、使い続けています。

トゥエルブ・ヒーラーズは、
例外なく同じ傾向があるようなのですが、

それは、「自らの個性」という名の3次元表現を通じて、
外宇宙と繋がるための、最強のツールなのではないでしょうか。

エドワード・バッチが、
花療法の神髄となる太陽法を発見した1930年、

冥王星が発見されたという事実も、
そうした奇蹟を裏付けるモノだと、

僕は信じて疑いません。

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