遅読のススメ

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

昨日に引き続き、妙なタイトルです(笑)

「遅読」などと言う単語すら、実在しませんので、
完全に僕の造語ですが、

いわゆる「速読」の反対語です。

こうして、ほぼ毎日ブログを更新出来るのは、
僕の母親の、それこそ鬼のような教育の賜物で、

教育熱心とは無縁な両親でしたが、
文章を書くコトのみ、

母親の熱心さは、尋常ではありませんでした。

僕の母親は、結婚して主婦に落ち着く以前、
出版社の校正係をしていた女性です。

元々、学校の図書館の本を全部読んだ程の、
「超」の付く活字好きだったそうですが、

それに加えて、校正などと言う仕事をしたモノですから、
文章の粗探しが、半端では無かったのです。

朝と夕に新聞が配達されると、
記事を熟読するだけでなく、活字の粗探しを始め、

問題を見つけると、新聞社に電話する徹底ぶりでした。

そのせいで、僕が学校から作文を持って帰ろうモノなら、
例え「大変良くできました!」の花マルがあっても、

彼女流の校正が始まってしまいます。

同じ単語が多過ぎるとか、
主語の位置がおかしいとか、

文章の前半と後半の意味が違うとか、
ココは倒置しないと文章が死ぬだとか、

小学生を捕まえて、

ああでもない、こうでもないと、
文章を直しまくるのです。

ですから、僕の作文用紙は、母親の朱筆で真っ赤になります。

そのため、いつか彼女を唸らせる文章を、
絶対書いてみせるぞ!と、誓わざるを得なかったのです。

残念ながら、この願いは、学生時代は叶いませんでした。

また、当時の新聞の日曜版には、
有名な作家の書いたコラムがあって、

それを音読させるのも、彼女の趣味(?)でした。

小学生が、司馬遼太郎の文章を音読しても、
さっぱり意味が判りませんが、

文章の音の響きを、彼女は学ばせたかったようです。

当然、誕生日のプレゼントなどは、必ず本で、
小学6年の時、盲腸で入院した際は、
下村湖人の次郎物語全3巻を、病院のベッドで音読です。

ココまで徹底されると、完全に習慣化してしまうワケです。

こんな背景があるせいか、
昨今流行りの速読と言う本への向き合い方が、
僕には全く理解出来ません。

見開き2ページを、あっと言う間に読んだり、
中には本を逆様にして読んだりと、
何をやっているのか、意味不明でしかありません。

僕はむしろ、

ゆっくりと日本語を味わいながら本を読むことで、
作者の行間に秘めた思いまで、読み込みたい派なのです。

何でもそうですが、ゆっくり取り組むコトで、
交感神経が昂りませんから、

遅読、かつ腹式呼吸で、リラックスして読んだ文章は、
記憶せずとも、無意識まで届きます。

そうやって、心身に染み込んだ文章は、
日々のカウンセリングにも、すぐに応用出来ます。

もちろん、速読と比較して、
一生に読める本の数は、圧倒的に少なくなりますが、

それでも僕は、本は味わうべきだ!と感じます。

こうした癖が付くと、本を買う時にも失敗が少なく、
作者のまえがきを読むだけで、本全体の価値が判る気がするのです。

ぜひ一度、必要以上にゆっくり、本を読んでみて下さい。

新しい発見が、きっとあるはずですよ。