常識

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

「常識」という言葉には、
「当然わきまえているべき事柄や知識、判断」
…という意味があります。

一見、問題の無い説明のため、
僕たちは常識を信じ、
常識に寄り添って暮らしてしまいがちですが、

この言葉には、見えない背景が存在します。

それは、一般的な人間が…という前提です。

一般的な…は、広く世間に知れ渡っていることを意味し

人間が…では、地球上の数多くの生命の中で、
人間だけが対象となっており、

しかもその中で、先進国を中心とし、
情報伝達(コミュニケーション)の中で、
洗脳される可能性の高い人々が暗喩されています。

つまり、常識とは、
人間にとって有益でありさえすれば良く、

さらには、どんなに素晴らしい思想や運動が、
普遍の真理を携えた人によって作られても、

常識さえ盾にすれば、
いくらでも、それらを叩き潰すことが可能なのです。

言い換えるなら、
常識に正しさは、全く必要ではなく、

大多数の「人間」に知られるコトで、
成立してしまうモノなのです。

その広報役として存在する組織が、マスコミですね。

そして、マスコミを支配するものは、
彼らのスポンサーとなる、大手有力企業です。

ですから、政治家も、政府も、
殆ど無力と言っても過言ではありません。

もはや、彼らには
人を惹きつける力はありませんし、

彼らに政治資金を提供しているのも、
大手有力企業なのですから。

かつての偉人たちが例外なく、
「常識に捕らわれるな」と
言い続けて来たのは何故でしょうか。

そこには、独創性を大切にせよという意味だけが、
あるワケでは無いコトを、

僕たちは腑に落とす必要があるようです。