器用、不器用

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

先日、店頭でノートパソコンに向かって、
お客様の治療記録をタイプしていたところ、

それを見ていた高校生に、
こんなコトを言われました。

 ゆうすけさんて、
 パソコンのキーボードを
 器用に使いこなすんですねぇ。

 パソコン教室で習ったんですか?

僕は、昭和57年に
産業用ロボットの関連企業に入社し、

その時から、
コンピュータとの付き合いが始まりました。

まだ、パソコン教室なんて、
存在しなかった頃です。

当時の一番の悩みは、
キーボード配列に馴染めなかったコトでした。

もちろん、マウスなんてありませんから、
キーボードが操作できなければ、
何も仕事ができません。

タイプライターの経験のあった友人は、
キーボードのキーの並びに
違和感が無かったようでしたが、

そういう類のコトには、
まったく無頓着だった僕は、

意味不明のキーの並びを覚えるコトが、
苦痛で仕方なかったのです。

さらには、マニュアルは全て英語で、
使われている単語は、技術用語ばかりですから、

学校で習った知識ぐらいでは、
まったく歯が立ちませんでした。

ところが、そんな僕には、
ギターの経験がありました。

右手と左手の指先を規則的に動かす訓練を、
中学生の頃からしていたコトを思い出し、

キーボード配列を覚えようとするのではなく、
感覚的に手指の骨の動きを
身体に叩き込むコトにしたのです。

この発想の転換は大成功でした。

パソコン操作に使う英単語ベースのコマンドは、
せいぜい数十種類です。

ギターの和音やアルペジオのパターン数と、
大差ありません。

ですから、コマンド毎に、
キーボードを演奏しているつもりで、
手の形や指先の流れを、覚えて行ったのです。

この作戦は、大成功を収めました。

ある日突然、キーボード操作が上達した僕に、
先輩たちは驚きました。

まだまだ、余裕はありませんでしたが、
それからというもの、
あれだけ大きかったはずの悩みが、

跡形も無く消えたのです。

その十数年後だったでしょうか、
パソコンやタイプライターのキーボードには、
ホームポジションという手の基本形が存在し、

そこから、必要なキーに向かって
指を伸ばすという訓練方法があるコトを知りましたが、

完全に自己流でキーボードと向き合っていた僕には、
もはや「釈迦に説法」の世界でした。

確かに、こういった慣れの世界では、
器用とか、不器用という尺度が存在するかもしれません。

ですが、器用という才能が開花するワケではなく、
以前習得した何かが、
違う形に応用できるだけのコトであり、

それは、完全なる必然なのです。

地道に何かに取り組んでいると、
その知識や経験は、
まったく違う世界のモノとも融合を始めます。

そうやって、色々と学んだモノたちは、
習得の快感を知っているため、
さらに何かを得ようと精進を続けます。

ゼロの状態から何かを切り拓くコトは無いという真理を、
経験上知っているからです。

遺伝とは種

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

昨日の雑草の発芽の話題に関連して、
今日は、遺伝についてお話しします。

結論から言うなら、
遺伝を恐れる必要は全くありません。

家系に頻発する特徴的な病気や症状を
遺伝と捕らえて諦める人々を、
僕は沢山見てきました。

薄毛や多汗にはじまり、
糖尿病や脳卒中、果てはガンまで、

遺伝だから仕方がないと、
罹病した人だけでなく、
医師までが、そんな運命論的な結論を提示します。

遺伝とは、種です。

千年以上前の種が、
遺跡等から出土することは、
珍しくありませんが、

そういった太古の種も、
土の中で滋養と太陽光に恵まれると、
歴史を越えて、しっかり発芽します。

種は、種だけでは何も起こりませんが、
土と滋養と陽光を授かると、
植物として発芽するのです。

遺伝も同じように、家族や家系の中で、
文字通り、伝え遺されますが、

例えば脳卒中を引き起こす遺伝子が継承されても、
その遺伝子を育む環境がなければ、
あなたという身体で発芽することはありません。

つまり、種は遺伝子であり、
土は身体であり、

滋養は食、
そして陽光は生活環境なのです。

いくら種である遺伝子が、
あなたの身体に伝え遺されたとしても、

あなたの食生活と生活環境が
遺伝子の発芽条件に合致しなければ、
病気にも症状にも現れることはありません。

つまり家族や家系は、同じモノを食べ、
同じ場所に住むため、
遺伝子が発芽し易い条件が揃ってしまうだけなのです。

人間にとって相応しい食事を摂り、
人間らしい生活環境を手に入れれば、
いかなる悪性の遺伝子も発芽することはなく、

そればかりか、

その家族や家系に伝わる、
良い面が継承されることになるでしょう。

どうせなら、良い遺伝子を、
発芽させようではありせんか。

 

生態系を担う

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

耐陰性という言葉をご存知でしょうか。

実は、フラワーレメディとは関係の深い言葉ですが、
ご利用者やセラピストにも、一見、縁の無さそうな単語です。

多くの療法では、施術を受ける側であるご利用者と、
施術を行う側のセラピストしか存在しませんが、

フラワーレメディにおいては、
もう一レベル存在します。

それは、僕のように製薬まで携わる、
フラワーレメディストという立場であり、

彼らはセラピーを行うだけではなく、
レメディ(薬)を作ることも仕事の一部です。

この療法における治療薬は、
太陽法という製薬プロセスがメインになりますが、

そこで、レメディ作りを左右する、
大切な要素の一つが、陽の光です。

ですが、

耐陰性とは、
製薬のプロセスとは無関係です。

それは、製薬対象となる植物の、
生態のひとつです。

文字通り、陽の光の届かぬ陰に、
その植物が耐えられるかどうか、
…ということです。

ひかりあめの敷地の半分以上は、
定期的な除草の必要な空間なのですが、

敷き詰めたバラス(小石)の下から、
抜根の不完全な雑草たちは、
石の隙間から逞しく発芽します。

雑草たちは、バラスを敷かれたコトで、
地表の温度や湿度が変わり、

同時に地表に陽の光が届かなくなったにも関わらず、
こうして発芽するのです。

温度や湿度の条件に、
発芽を断念する種もあるのでしょうが、

多くの雑草たちは、耐陰性に優れているため、
こうして新しい芽を出します。

植物の中には、
耐陰性の低い種類も沢山あり、
その代表格が、ガーデニングの主役ともいえる芝です。

一見逞しそうな芝ですが、
彼らは日陰では、生きることができません。

芝生に、枯葉が一枚舞い落ちたとしましょう。

落ちた葉が、風に飛ばされることなく、
数日間、同じ場所にあろうものなら、

その下にあった芝は枯れてしまいます。

耐陰性の高い植物は、
陽の光が得られなくても育つコトができますが、

芝のような耐陰性の低い、もしくは無い植物は、
このように枯れてしまうのです。

一方、耐陰性に優れた雑草たちは、
芝の根本で発芽しますから、

陽の光の届かぬ悪条件の下で、
まず、その成長が始まり、

その状況を放置しておくと、
やがて芝より背が高くなってしまいます。

そして、芝の上空で雑草が葉を広げようモノなら、
彼らの成長の勢いは、
光合成が加わるため、さらに加速し、

雑草たちが葉を広げることによって、
その葉の陰となった芝が枯れ始めるのです。

芝には、耐陰性がありませんからね。

こうした流れの中で枯れた芝は、
ついには雑草たちの堆肥となり、
この勢力争いは、
雑草たちに軍配が上がることになります。

フラワーレメディの植物の中で、
特に耐陰性の高い種がビーチです。

耐陰性を備えたビーチは、後から森の仲間に加わっても、
陽光を必要としないため、スクスクと林床で成長します。

そのうち、既存の植物より背が高くなり、
ビーチは森の冠となって幹を広げるのです。

ビーチによって陽の光が届かなくなった、
先駆植物たちは枯れて消え、

やがてその森は、
ビーチだらけになるコトさえあります。

これが、野生の純林(単一植物による森)の仕組みです。

こうして作られる環境によって、
優位になる生物もいれば、追いやられる生物もいます。

どちらの命も、自然において平等ですので、

生態系の頂点に在って、その管理を担ったモノは、
単なる維持管理をするだけでなく、

生命への感謝を、日々携えねばなりません。

ただ、義務感だけで、雑草を引き抜いたり、
除草剤を撒いて一網打尽にしてしまっていては、
雑草たちとの調和はできないでしょう。

雑草1本ずつに、しっかりと手を掛けて、
心を込めて向き合うコトが、

生態系を担う者に、
本来求められるべきものだと感じます。

少なくとも僕は、そうでありたいです。

日々出来るコト

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

自分に出来ないコトで、
思い悩む必要はありません。

自分に出来るコトに焦点を当て、
積極的に動いてみましょう。

もちろん、動く方向も自分で決め、
その選択と、行動の結果には責任を持ちます。

これを一日中、そして一年中、
誠意をもって続けるのです。

はじめは、小さな結果しか、残らないかもしれませんが、

出来ることのバリエーションは、
その積み重ねによって、自ずと広がります。

例えば、昨日と今日で、
自分に出来るコトをチョイスした結果、

全く同じ課題に取り組んだとします。

しかし、人間の不確実性は、
時としてチャンスを提供してくれます。

ちょっとした着想の違いや、
周囲の環境の違い、

そして、自身の手法の違いが、
違う結果をもたらすことがあるのです。

これが、能力の広がりや、
可能性の拡大の正体なのかもしれません。

こうして、出来るコトが増えれば、
出来ないコトを、思い悩むきっかけも減ります。

これだけでも、充分に有難いのですが、
自分と向き合うのなら、
さらに心掛けておくべきコトがあります。

大雑把で良いので、
ある程度目標を決めておくのです。

そうすることで今度は、
潜在意識を味方につけるコトができます。

何かを実行している時、
人間の不確実性のもたらすチャンスの方向が、

目標に向かって、
無意識に軌道修正されるようになるからです。

これこそが、目的意識を持つことの利点です。

逆の言い方をするなら、
目的や目標があっても、

何の行動もしなければ、
そこへ一歩も近付くことはありません。

エドガー・ケイシーのリーディングの中に、
自分に与えられた仕事や環境に対して、
常に最善を尽くせという意味の言葉が

何度も、何度も、登場します。

僕たちは、何か特別な能力が、
ある日突然、宇宙からもたらされると期待しがちですが、

そんな都合の良い偶然は、存在しないでしょう。

だから今日も、
出来るコトに感謝を込めて、
最善を尽くす生き方を選びましょう。

多忙と夢中

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

いつも、多忙な方がいます。

そして、何かに、
夢中になっている人がいます。

このふたりは、
どちらも寸暇を惜しんで活動しますが、
彼らには大きな差があります。

「忙」という字は、「心を亡くす」と書きます。

自らの外側で起こる刺激を感覚的に処理し、
物質的な世界に翻弄され、
我を失った状態が「忙」です。

僕たちは、肉体を携えた精神ですが、

ところが「忙」の状態は、
心を亡くした、精神不在の肉体といえなくもありません。

彼らは、ふとした瞬間に我に返ったとき、
ある程度目標を達成していると、
はじめて安堵することができますが、

それ以外の瞬間では、
心ここに在らずの状態で奮闘しています。

そしてついには、その忙しさを言い訳にし、

心と向き合うコトを、
拒否し始めるコトすらあります。

一方「夢中」とは、精神優位の素晴らしい状態です。

自らの内に湧き起こるモノに対して純粋に向き合い、
意識が、その実現に向けて、
全身全霊で取り組んでいる状態です。

これは、意識を司る霊性が、
主導権を握っている状態ですから、

肉体と精神が、理想的に調和しています。

ですから、多忙の人と違って、
夢中の人は、疲れを知りません。

今を去る、35年前、
僕は高校3年生でした。

担任の先生が職員室に僕を呼び出し、
将来、おまえは何になりたいんだと僕に問いました。

楽譜は読めないけれど、唄うことが好きだから、
歌手になりたいと、僕は先生に言いました。

すると先生は、
大好きなことなら仕事にするなと、
僕に忠告したのです。

その時は、意味が解りませんでしたが、
これこそが、肉体と精神の葛藤に対する答えのひとつです。

大好きなコトには、無我夢中で取り組めます。

しかし、それが仕事になった途端、
つまり、ギャランティが発生したり、
不本意な期限が生じたりすれば、

大好きだったはずのコトが、
自分の首を絞め始めるのです。

この時に陥る状態が、
「夢中」の世界から「忙」の状態への転落です。

特に若い頃は、この違いがはっきりしないため、
体験し、傷付いて、多くを学ぶ必要があるのでしょう。

社会に出て30年以上経った今、
幾つかの仕事やプロジェクト、そして挫折を経験し、

長続きできる仕事とは、
夢中になれるモノかどうかを僕は知っています。

そして、もうひとつ確かなコトは、
それはもはや、好きとか嫌いとか言う、
主観の世界では無いという事実です。

雇用関係の存在しない自営業というスタイルを選び、

安定とは無縁の生き方ではあるモノの、
自分のペースを優先できる、こうした仕事との関わり方は、

夢中の状態を維持するには、どうやら好都合のようです。

これからも、心を亡くさぬよう、
意識の高い日々を過ごしたいモノです。

そして、真の健康とは、
こうしたバランスが、自然に成り立つ状態なのでしょう。

眠れぬ夜の過ごし方

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

今日は、眠れない夜について、語りますね。

ここで、自然療法家らしく、
ホワイトチェストナットのレメディの効用を
説明するのもイイですが、

そういったコトは、
フラワーレメディに携わる、
多くのセラピストが言及していますので、

僕は違った角度から、
解決策を見出してみます。

ヒントは、

眠れない夜と眠らない夜は、
似て非なるモノだと言うコトです。

眠れぬ夜に、
眠らなきゃと思えば焦り、
悪循環が始まりますが、

眠らない夜は、
眠らないと決めていますから、
焦ることはありません。

これがポイントです。

さて、徹夜を決めた日に限って、
睡魔に襲われた経験はないでしょうか?

今夜は、何だか寝付けないぞと感じたら、
意識をシフトし、

今夜はこのまま、
布団の中で朝を迎えようと、軽く誓ってみるのです。

つまり、眠れない夜ではなく、
眠らない夜という設定に変えてみます。

そして、眠らないと決めたら、
次は、空想をはじめます。

仰向けになって床に入り、目を瞑ったら、

自分の上空2メートルくらいのところに、
自由に形を変える白い煙状のモノがあるとイメージします。

その煙は、色々な形を作ります。

ハート型だったり、ドーナツ型だったり、
飛んでいる鳥のようだったり、眠っている猫に見えたり、

自分の好きなモノで構わないので、
自由に色々な形を楽しんで下さい。

そうこうしているうちに、
イメージするネタが尽きてきます。

すると、トンでもない形のモノができます。

その頃になれば、イメージも飽きてきますので、
何かの形に似てるけど、
変な形だなあ…くらいの反応になります。

その時が、眠らない夜と別れを告げるチャンスです。

 この続きは明日ね。

自分と、自分を取り囲む環境に、そう言い聞かせ、
思考を止めてしまいましょう。

気が付けば、翌朝です。

眠剤も使わず、
ホワイトチェストナットも使わず、

眠れてしまう自分がいたりします。

眠るために必要なモノは薬ではなく、

緊張しないことと、
思考を止めることですから。

中今

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

中今と書いて「なかいま」と読みます。
これは、日本神道における歴史観のひとつです。

永遠を活きる魂は、
いつも「今」に存在しますが、

それは、無限の時空を越え、
どこまでも続く宇宙尺度における
普遍なる中心を意味しており、

単なる「時間的な現在」ではありません。

神代を継承している「今」であり、
いつも「ここ」から始まっているのです。

僕は、この言葉に、毎日救われています。

過去さえも「今の産物」だということを、
教えてくれるからです。

そんなバカなと思われますか?

じゃあ、お尋ねしますが、
あなたは、全ての過去を覚えてますか?

それは、在り得ないでしょう。

印象的な思い出だけを
記憶しているだけですよね。

それを、悔やむのも、懐かしむのも、
「今のあなた」です。

忘れてしまった、過去も沢山あって、
その中にも大切な出来事もあったはずですが、

あなたが、囚われているのは、
その中のほんの一部であり、

しかも、多くの場合は、
わざわざ気分を沈ませるために、
それを思い出しています。

ですから「今のあなた」が、
「よし、終了!」と決めれば、

他の思い出たちと同じように、
あなたの記憶の中に、大人しく身を潜めるのです。

同じように、未来に対して、
憧れる人が多いのにも驚きます。

これも「今のあなた」が憧れているだけです。

今の自分に満足できないから、
未来に希望を託したい気持ちは判ります。

しかし未来とは「今の自分の延長」だと言う、
大切な事実を見落とし、

何か別の自分が、未来を切り拓いている!
…と妄想しているのでしょう。

今のあなたを、
今、プラスに転じさせなければ、
未来のあなたは、今のままです。

今は、これだけ大切です。

無限なる宇宙の中心として
大きな価値を持つのが、今、この瞬間です。

…と、同時にこれは、
昨日の話しにも深く関係します。

この「中今」という時空感覚をしっかり携え、

心の底から笑って、魂の声で唄いましょう。

笑って、唄う

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

心の底から、笑ってますか?
魂の声で、唄ってますか?

その「つもり」の人は、多いでしょう。

僕も、そのひとりでしたし、
今でも、ブレるばかりの日々を送っています。

もちろん、こう言った、
心や魂の成長の切り札となる大切なコトに、
全く興味を持たない人たちよりは、

たとえ「つもり」だとしても、
その方が、ずっとマシかもしれません。

でも、どうせなら、
本気でやってみましょうよ。

心の底から笑い、
魂の声で唄いましょう。

なぜ、笑うのでしょう。
より、波動を高めるためです。

なぜ、唄うのでしょう。
魂と身体を、しっかり繋ぐためです。

このふたつの実践は、
ひとつひとつに意味があるのではなく、

笑って、唄って、ワンセットです。

そして、それを実践する身体が、
地にしっかり足を降ろしている必要があります。

日々の仕事に対して、
その日の自分に可能な限り、
真摯に向き合っていますか?

世に起こっている憑依や病気の多くは、
大地との関係が希薄になった生命に起こります。

悪霊や病に、足元をすくわれてしまうため、

本来の生命エネルギーが失われたり、
他者のエネルギーに奪われたりするのです。

大前提となるコトは、この身体が、
物質的世界でしっかり生きるコトであり

その活動を通じて、

心の底から笑って、
自らのボディとマインドの波動を高め、

さらに、魂の声で唄うことで、
転生を越えた、創造主との約束と向き合えるのです。

この三位一体の取り組みだけが、
相応しい成長を約束します。

精神性が、どんなに高まっていたとしても、
浮き足立ってしまっていては、

感情や欲求にどっぷり浸かった状態と、五十歩百歩です。

この三次元身体に宿るコトのできる魂は、
ホンの一握りだそうです。

せっかく授かった生を、
共に、そして大切に育みましょう。

感覚と付き合う

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

僕たちは感覚によって、
この世界の様々な波動を受信しています。

自然界の創造した一大傑作もあれば、
人間のこしらえた不自然なモノもありますが、

それらをひっくるめたモノが、
今この瞬間の世界の波動です。

そして、面白いのは、
同じ色を見ても、同じ音を聞いても、
反応や味わい方は、千差万別だというコトです。

 そんなコトはない。
赤は赤だろう!

あなたは、そう思うかもしれません。

しかし、色分解データで完全に再現した赤でさえ、
人によっては、本来の赤に見えないコトが多々あります。

この例えが判り難いとしても、
味覚や臭覚の個人差なら、多くの人々が経験しています。

自分は美味しいと思うのに、
他人は不味いと感じたり、

自分にとっては芳しいのに、
パートナーにとっては、不快な香りだったりします。

ですから、感覚器官の違いだけで、
味覚や臭覚と同じような差異が、
見え方、聞こえ方、感触にも必ず存在し、

科学的に検証できない第六感に至っては、
劇的とも言える違いがあるのです。

ですから、五感の差について、
云々言う意味は無いと考えても、

あながち極論とは言えません。

その人にとって、必要な情報を、
必要な分だけ受信できれば、それで良いのです。

生命体はそれぞれ、
固有の周波数で振動していますから、

受信する領域の、得手不得手があっても
何ら不思議ではありません。

そして、この差は、
コミュニケーションの中においても、
興味深い現象を見せします。

もちろん、言語解釈上の問題は、
大きな差となりますが、

それ以外にも、発する波動と受け取る波動の差で、
聴き取る内容が変わってしまうのです。

 良かれと思って言ったコトが、
 全然、相手に伝わらない。

このフレーズ、良く耳にしますよね。
まさにコレが、そのメカニズムなのです。

こうして、人間同士でも、
感覚の差はあるのですから、

動物を越えたコミュニケーションは、
さらに興味深いモノになります。

愛猫のチアさんは、
透き通る、円らな瞳で僕を見つめますが、

あんなにピュアな目をもってしても、
猫の色覚では、赤と緑が判別できません。

ところが、人間が躓くような、
光のごく僅かな場所でも、

彼らはしっかりと、
白黒識別できる視覚を持っています。

深夜1時半ごろ、
熟睡している僕を真っ暗な寝室で見つけ出し、

耳元で「ニャー」と囁いて僕だけを起こす
そのピンポイント・テクニックは、
もはや、芸術の域に達しています。

さすがです。

自然療法を賢く使う

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

フラワーレメディに限らず、
何らかの自然療法に関心を持ち、
試してみたいと思ったら、

インターネットで調べるや否や、
矢も盾も堪らず、
いきなり問合せに走る方も多いと思います。

しかし、フラワーレメディのように、
特に西洋医学の補完や代替を目的として、
検討されているのであれば、

最初の一歩を漠然と踏み出す前に、
その療法を賢く活かすため、
以下の項目をチェックしておくコトをオススメします。

こうした準備をせず、いきなり施術を受けても、

こちらからの質問に応えられなかったり、
返事が曖昧になってしまったり、
無駄なおしゃべりで要点がずれたりしても、

そういった問診の流れが、
良い処方を導き出すはずがありません。

その場で整理すれば難しい内容でも、
事前に向き合っておけば、
難無く取り組めるモノです。

思い出せば良いのですし、

万が一覚えていないのなら、
資料を探せば済むのですから。

では、どんな内容を、
挙げておけば良いのでしょうか。

簡単に言うなら、
その療法を試してみたい理由を整理し、

さらには、自分の症状や状態、そして近況を、
可能な限りメモして下さい。

試してみたい理由については、

例えば、西洋医学に不信感があるからとか、
主治医の言動が納得できない等の感情論ではなく、

不信感や疑念を感じる、
原因となる部分をチェックして下さい。

そして、症状や状態、そして近況については、
例えば「痛み」があるのなら、

いつ頃から始まった「痛み」なのか、
そしてその頃、どんなストレスを抱えていたか、

「痛み」に苛まれる時間帯や、
タイミングなどに関する規則性は無いか、

服用薬が既にあるなら、
お薬手帳や処方箋を用意するか、

薬のパッケージに記載された情報をメモに書き出し、
それらをどんな形で、服用、あるいは頓服をしているかを、
明確にしておきましょう。

また、アレルギーの有無や最近の食欲、
運動量は充分か、

入眠具合や中途覚醒についても、
チェックしておきましょう。

これらを携えて、自然療法家を訪ねるコトが、
賢い利用方法の前段階です。

そして、

そんな前段階と同じくらい大切な向き合い方が、
施術を受けた後に必要です。

自然療法家は、
あなたに対して何らかの処方をするはずですが、

それと並行して、
生活習慣の改善に関するアドバイスをするでしょう。

何らかのエクササイズかもしれませんし、
アファメーションかもしれません。

自然療法をうまく利用する人々は、
こうしたアドバイスをしっかりメモし、
そして、実行します。

こうした積み重ねが、
自然との真の調和を身体が学び取り、

内なるチカラに対する、確信となるのです。

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