神様のデザイン

笑ってますか?
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ゆうすけです。

フラワーレメディを学べば学ぶほど、
万物がなぜそこにあって、なぜそんな姿や形をしているのか、
気になって仕方無くなるものです。

そしてそれらは、
実に緻密でありながら、
調和に満ちていることがわかります。

ですから、その調和を保つ生き方をするなら、
健全な一生が約束されるのも事実です。

神様のデザインは、まさに完璧なのです。

父が脳梗塞で倒れ、母が大腸癌になったとき、
メンタル的に楽天的でストレスと縁遠い彼らが、
大病を患うことが不思議でしたが、

神様のデザインを無視した生き方のツケを、
そうした病という形で、
精算せねばならなかったということが、
後になってわかりました。

その問題こそが、食生活でした。

出張の多かった父は、外食が多く、
料理上手で気遣いの行き届く母は、
ふたり揃った食卓では、
いつも美味しいもので父をもてなしました。

愛情に満ちたこの風景は、
何の問題も無いどころか、理想的な夫婦像に見えます。

しかし、食卓に上った料理はどれも、
神様のデザインを無視した、
動物性タンパク質過剰のモノだったのです。

解剖学的な話しとしてではなく、
人体の内外における、
その姿形が偶然の産物では無いことを噛みしめ、

今日は、腸という臓器に着目してみましょう。

食べ物は、胃腸で消化吸収されるのですから、
神様のデザインを無視すると何が起こるかを、
この臓器が、解りやすく僕たちに教えてくれます。

雑食動物である人間の腸は、
長く、細く、腸壁に深いヒダと小嚢が沢山あり、
複雑にカーブしています。

一方、肉食動物の腸は、短く、太く、
腸壁は滑らかで、小嚢はなく、ほとんど真っ直ぐです。

このように、まるで違うのです。

人間の腸のその形や、深いヒダは、
色々なモノを食べる食習慣に対応し、
それらの栄養分をしっかり吸収するためにあります。

言い換えるなら、微細な栄養でも確実に吸収するため、
余分な栄養は、必要無いということも表しており、

もし余分になった場合は、
何等かのバランスが崩れることを暗示しています。

一方、肉食動物の腸は、そういう形では無いため、
構造上、人の腸よりずっと速く、食べたモノが通過してしまいます。

そのため、腸が毒素を吸収するリスクが殆どなく、
結腸癌になることもありません。

さらには、人間の食用となる動物である牛や豚、鳥などより、
体温の低い人間の身体の中では、
動物性食品の脂肪分は、常に個体のままであり続けます。

冷蔵庫で、バターが固くなるのと同じ現象です。

腸の中で、それらが全く流動することができなくなる可能性があり、
不幸にして、腸壁のヒダに不着すれば宿便となり、
慢性的にその場所に留まり続けます。

毒素を、抱えたままになると言うことです。

問題は、まだ続きます。
動物性食品には、
食物繊維が一切含まれていません。

繊維質が、腸の中で箒の働きをすることは有名ですが、
これが無いと腸が塞がってしまい、
食物が結腸を通過するために必要な時間が、ドンドン長くなります。

そうなれば、排水溝が詰まるように、
腸壁のヒダも、そして腸自体も、
脂肪のびっしり詰まった状態になってしまいます。

大便として排泄される直前のこの場所で、
腐敗しつつある消化吸収後の食物の残骸が、
腸に長時間停滞すると言うことは

その毒素を吸収する危険性が高くなるということが、
容易に想像できるでしょう。

繰り返しますが、神様のデザインは完璧です。

健全な生命の大原則は、
そのデザインから逸脱した生き方をしないことです。

人間の永久歯は、
穀物などを磨り潰すための臼歯が16本、

野菜を切るための門歯が8本、
肉や魚を食いちぎる尖った犬歯が4本あります。

食材のバランスも、この比率に従って、
穀物・野菜・肉魚類を5 : 2 : 1の割合とするのが良いようです。

摂り過ぎたタンパク質の行方

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ゆうすけです。

タンパク質の過剰摂取の現状について、
昨日お話ししました。

意識してタンパク質を摂取しようとしなくても、
野菜や果物からだけでも、
僕たちは必要量を十分に賄えるのです。

しかし、次のような話しを知っている人たちは、
タンパク質を余分に摂ってもいいじゃないかと反論します。

 タンパク質が、酵素や血球となり、
 髪の毛を伸ばし、抗体を作っている。

確かに、これは事実です。

しかしそれは、
一日の食事の締めるタンパク質の割合が、
5%程度で起こる生体反応であって、

それ以上に摂取したからと言って、

酵素や血球がさらに充実したり、
髪がフサフサになったり、
絶対に風邪をひかなくなったりするワケではありません。

身体には、残念ながらタンパク質の貯蔵機能はなく、
余分に摂取したそれらは、問題を引き起こしますが、

この点について、
タンパク質のプロパガンダ源である資本家たちは、
例外なく口を閉ざします。

彼らが知られたくない、
過剰タンパク質摂取のもたらす最も懸念される病気が、
実は、あの骨粗鬆症なのです。

世界の統計調査によれば、
特に大量の乳製品を摂取する国である
アメリカやフィンランド、スウェーデン、イギリスなどで、
最も罹患者が多く見られるという結論を出しています。

同じタンパク質でも、
動物性タンパク質は、体内で酸性になります。

これが、最も問題なのです。

酸性に傾くことを嫌う人体は、
何とか中和させようと努力するのですが、

その際、体内におけるアルカリ質のカルシウム源を、
消費するしか方法が無くなってしまいます。

体内で、その機能を維持するために、
カルシウムを有している部分はふたつあって、
ひとつは血液、もうひとつは骨です。

しかし、血中のカルシウムは、
体内の様々な臓器の筋肉収縮制御や、

血液凝固、神経伝達といった、
生命に関わる大切な仕事をしているため、
こちらのカルシウムには、手を出すことができません。

そこで、骨のカルシウムを消費し、
過剰摂取した動物性タンパク質の酸性要素と合成させ、
尿として排泄するのです。

アメリカの、ジョン・マクドゥーガル博士は、
彼の骨粗鬆症研究を、以下のように要約しました。

 骨の強さを維持するために、
 カルシウムバランスをプラスにしたいのなら、
 食事を変えて、毎日食べるタンパク質の量を、あえて減らすことだ。
 重要なのは、摂取するカルシウムの量ではない。

ちなみに、アフリカのバンツー族は、
日本の厚生労働省の勧める量の3割しか、
カルシウムを摂取しません。

彼女たちは、一生で平均9人の子供を産み、
ひとりにつき2年間母乳を与えますが、

カルシウム不足が原因で骨を折る人もおらず、
歯を失う人もいないのです。

骨粗鬆症を回避するため、
体内のカルシウムバランスを調整するために、
意識した食事を摂りたいのであれば、

カルシウムと燐のバランスに注意してください。

カルシウムに対して、燐が半分の量までであれば、
カルシウムバランスはプラスに転じますが、

例えば、同量程度の燐を摂取してしまうと、
マイナスバランスになることが解っています。

重要なのは、カルシウムの摂取量ではなく、
燐に対してカルシウムが少なければ、
骨からカルシウムが失われることになるのです。

燐に対するカルシウムの割合の少ない食品は、

悪い順に並べると、
レバー、鶏肉、牛肉、豚肉、魚となります。

ですからこれらは、食べれば食べるほど、
カルシウム不足になるのです。

一方、野菜や果物では、
燐に対するカルシウムの割合が高く、
カルシウムを体内に補給することができます。

レタスは、含有するカルシウム量自体は少ないのですが、
燐に対するカルシウムの割合が高く、
それはレバーの70倍にものぼるため、カルシウムの補給を助けます。

しっかり野菜を取れば、骨は丈夫になるということです。

動物園に行ったコトはありますか?
象もゴリラも、立派な体格をしています。

彼らがもし、好んでステーキを食べ、
牛乳を飲んでいるのなら、
僕はこのブログを閉鎖するでしょう。

彼らは、植物性の栄養源だけで、
あの骨格を維持し、力強く生きているのです。

母乳とタンパク質

笑ってますか?
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ゆうすけです。

人間の身体の成長が、一生の中で、
群を抜いて速い時期があります。

思春期も確かにそうですが、
最も早く、効率的な成長を必要としているのは、
他ならぬ赤ちゃんです。

小さく産んで、大きく育てる哺乳類として、
これは至極当然のことです。

ですから、この時期は、
タンパク質を最も大量に必要としていると、
言い換えることができます。

そして、その頃の彼らの主食は、母乳です。

人間の母乳に含まれるタンパク質は、
カロリーによる計算で、全体の5%に相当するそうです。

つまり、この最もタンパク質を欲している時期でさえ、
全食事の5%がタンパク質であれば、
健全な成長ができることを、自然は教えています。

ちなみにこれは、哺乳類の中で、
一際寿命の長い人間の場合の話しです。

僕たち人間は、出生時の体重を、
2倍にするために必要な期間が180日と言われており、

このタイムスケジュールに則った、
最も相応しいタンパク質の割合が5%なのです。

同じ哺乳類でも、牛は47日で2倍に成長せねばならず、
そのため、牛乳のタンパク質の割合は15%にのぼります。

また、僕の愛する猫たちは、
さらに短期間で成長する必要があります。

彼らが、自らの体重を、
誕生時の2倍にするために費やす時間は、
たった7日間しかありません。

そのため、猫の乳のタンパク質の割合は、
何と40%もあります。

つまり、何が言いたいのかというと、

一般成人の、日々摂取するタンパク質の割合が、
厚生労働省の指導では、多過ぎるのではないかということです。

3大栄養素のバランスとして、
彼らは炭水化物50~60%、脂質20~25%、
そして、たんぱく質を15~20%の比率で摂取せよと言います。

この情報を信じていた僕の母親は、
幼少期の僕に、せっせと牛乳を飲ませました。

その結果、アレルギー体質が悪化したのです。

アメリカにおける調査で、

普段の食事におけるタンパク質の必要量は、
全体の2.5%から8%であると、彼らは論じています。

この中には、WHOの見解も含まれており、
彼らは4.5%と発表しています。

赤ちゃんの母乳におけるタンパク質の割合からみても、
こちらの数字は妥当でしょう。

確かに、色々な理由から、
タンパク質を多量摂取する必要のある場合も想定できます。

少々多めに見積もって、
10%のタンパク質が必要だったとしても、

果物やイモ類を食べているだけでも、それは摂取できます。

つまり僕たちは、特別なタンパク質摂取を、
意識する必要は無いのです。

自然の教えに、耳を傾けましょう。

「食」という文字

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ゆうすけです。

僕は、フラワーレメディの世界で生きるようになって、
言葉や単語、文字に秘められたメッセージに、敏感になりました。

例えば、「元気」や「勇気」、「病気」などの言葉には、
生命は常に「氣=エネルギー」と供にあることを、
過去の人々が経験的に知っていたことを物語っています。

それが理想的な状態に戻れば「元気」であり、
それを高めるために必要なモノが「勇気」であり、
調子の崩れた状態が「病気」です。

同じように、
衣食住における「食」という漢字は、

「人」という文字と「良」という文字が、
重なり合ってできています。

人を良くするのも、悪くするのも、
食べ物だということを、昔の人々は知っていたのでしょう。

また、「腐」という文字も象徴的です。

「府」と「肉」という文字が合成されたモノですが、
この「府」とは「腑」のことで、内臓を示します。

(=動物性食品)は、内臓の中で腐るという意味です。

また、僕が何十年も患ってきた「乾癬」という皮膚病の、
「癬」という文字は、

やまいだれの中に「魚」と「羊」が入っています。
過剰な動物性タンパク質摂取のもたらす、
皮膚の病だという意味です。

歪んだ食習慣と、人体の不調との関係を、
このような言葉や単語、文字が説明してくれていますが、

それ以上の問題は、現代の文化が、
歪んだ食習慣を、人々に常識と思わせていることです。

実際、テレビ番組で何か特定の食材が注目されると、
スーパーマーケットから、それが売り切れることを、
僕たちは、何度も目の当たりにしてきました。

これと同じことを、少し長いスパンで、
まるで教養のように叩き込まれた僕たちは、

疑うことを知らずに、
歪んだ食を受け容れてしまったのです。

その一例が、第二次大戦後に行われた、
学校給食という社会サービスです。

建前としては、

敗戦によって栄養不良に陥っていた日本人を救済するため、
アメリカによる栄養指導が積極的に行われたことになっています。

それ以前の子供たちは、
弁当を持って学校に通っていましたが、

給食というシステムは、

 家庭の負担を減らし、
 バランスの良い栄養を子供たちに公平に提供できる、

…そんな背景のもとで定着しました。

しかし、どう考えてもおかしいのは、なぜここで、
パンと牛乳が定着してしまったのかということです。

この国を良く理解する栄養政策であれば、
ご飯と味噌汁が提供されたはずですが、

実際に行われた給食サービスでは、
まず脱脂粉乳が配給され、

その後、ご飯食がパン食に切り替わっていきました。

自宅出産が中心だった日本人を、
病院出産させることで母乳から遠ざけさせ、
粉ミルクと哺乳瓶を勧める育児指導も始まりました。

これだけアカラサマな食文化のシフトが行われたにも関わらず、
当時の日本人は、簡単に説得させられてしまったのです。

今日でも、小中学校における栄養指導において、
「牛乳を飲んで骨を丈夫にしよう」などと、
科学的にもおかしなコトが、平然と子供たちに教えられています。

もしこのブログを、教育関係者の方が読まれているのなら、
一度真剣に、牛乳について調べてみて下さい。

そして、ご自身で心底納得した情報だけを、
子供たちに教えて頂きたいと思います。

澱む気は病む

笑ってますか?
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ゆうすけです。

返り点で展開した、漢文のようなタイトルになりました。

瞑想の後、
心の思いつくままにキーボードを打った結果ですが、
今日は、風水絡みのお話しです。

ここ沖縄は、他府県以上に風水を重んじる土地柄です。

家を新築する際にも、
この土地のこの方向に、この部屋は良いとか悪いとか、
ああでもない、こうでもないと物議をかもしながら、

建築上の矛盾は、家具や調度品の配置で調整し、
最終的には、施主自身が自分を納得させ、
実際の暮らしを迎えます。

僕は、風水自体は詳しくありませんが、
アチラを立てるとコチラの立たない、結構大変な作業のようです。

こうした風水のもたらす、土地や建物の相は、
確かに吉に近付けるべきかもしれませんが、

何より大切なコトは、
家の中に気の澱む場所を作らないことです。

そうは言っても、家中整理整頓することは、
主婦にとって、ハードルの高い難題であることは否めません。

不要なモノを積極的に処分する、
シンプルな生き方を実践できれば、
その可能性は高くなりますが、

特に小さな子供のいる家では、
どうしても散らかってしまうものです。

では、どうしたら良いのでしょう。

結論から言うなら、
それでも掃除をするしかありません。

家中が無理ならば、家族の共有空間である居間だけでも、
スッキリ片付けられるようにしたいものです。

しかし多くの人々にとって、
掴み所の無い、無色透明の家の気が少々滞ったところで、
一体何が起こるのかピンと来ない…、というのが現実で、

だからこそ、掃除に対して、
身が入らないのかもしれません。

人体を例に、考えて見れば解ります。

人の身体も、取り巻く気が澱むと、
滞った気のシワを中心に、病や症状が生まれます。

我慢が癖になり、自己表現を怠っていると、
喉を中心とした違和感や閉塞感を感じるようになり、

慢性的な気管支の問題や、
甲状腺の異常などをもたらすようになります。

また現実逃避傾向が強くなれば、
五感に不調をきたします。

現実を、見たり聞いたり、感じたりすることを、
その人が拒否するからです。

家も地域も、地球も同じで、
気の滞った場所には、必ず問題が生じます。

ですから地球は、自転活動によって、
気の澱みを自ら解決していますし、

季節や潮の満ち干きなどが、土地の気を循環させます。

しかし閉鎖された家は、これができません。
空き家が廃れるのは、このせいです。

科学的に言えば、過剰な酸化が促進され、朽ちて行くのです。

人の住んでいる家は、
家人が生活することで家の代謝を促進させますから、
ある程度、気を循環させることもできるかもしれませんが、

それでも存在する、ゴミ屋敷と呼ばれるような家では、
散在するゴミに埋もれて人が動くことができなくなり、

その結果、気は極限まで澱んでしまいます。

そして、人は住んでいるのに、
廃墟化してしまうという現象が起こるのです。

ですからせめて、
それぞれの部屋の窓を開ければ、
何とか気が流れてゆく程度に、

そして、家族が長時間過ごす居間だけは、
しっかりと気が循環するように、
家の中を整理整頓したいものです。

そんな意味でも、時折、
住宅展示場や家具のショールームを訪問し、
綺麗に片付いた空間を、
体験することは大切かもしれませんね。

具体的に、そういった場所の雰囲気を感じることで、
自分の生活に目標ができるからです。

春になれば、新生活を始める人も多くなるでしょう。

こういった転機には、
ぜひ住空間の気を改善する計画も織り交ぜましょう。

この機会を、健康や幸福へのチャンスに変えるのです。

チャンスは待つモノではなく、
自分から作り出すモノです。

印象から自分をつくる

笑ってますか?
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ゆうすけです。

仮病を例に挙げます。

読んで字の如く、仮病は病気ではありませんが、
仮病を演じているうちに、本当に病気になる人がいます。

それも、かなりの確立で発症します。

つまり、その気になってしまえば、
身も心も順応して、その通りになってしまうのです。

同じ様に、

ことあるたびに「自信がない」とか、
「できっこない」と連呼していると、
本当に自信を喪失します。

まさか、そんな重大なコトになるとは知らず、
自己暗示をし続けたり、
ネガティブなつぶやきを習慣化していると、

結果として、
それに相応しい自分を作り上げるのです。

このように、これによるリスクは計り知れませんが、
残念ながら、ソコに気付いている人はそう多くありません。

ですから、人間が持って生まれたこれらの生命反応を、
どうせなら上手く方向付けし、

健康で健全な生き方を、
強引に作り出した方が、絶対に得です。

ぜひ今日から、ポジティブな自己暗示を日常化しましょう。

スーパースターと呼ばれる人々は、
例外無く自分が大好きですが、
それこそポジティブな自己暗示の賜物です。

彼らは、自分の欠点すらチャームポイントと呼び、
賞賛することができます。

見習うべき生活習慣ですね。

ですから僕たちも日常的に、
自ら良い印象作りを心がけたいものです。

その第一歩が、明るい服を着ることだと僕は思います。

自分のコンディションが、服装に反映してしまうのは、
一種の共鳴現象です。

自分にしっくりくる衣服を選ぶため、
体調がどんよりしていれば、曇った服装になるのでしょう。

もちろん、その状態で鏡に映った自分をみれば、
見事なまでに似合っていることでしょう。

しかし、これではいけません。
負の状態の自分が、増幅しかねないからです。

明るい服を着るべきことが無理なら、
せめて、明るいアクセサリーを身につけましょう。

たったそれだけのことでも、
鏡に映った自分に、ハッとするはずです。

そんなとき、少々ぎこちなくても、
その鏡に向かって、微笑みかけて下さい。

明るい笑顔ができれば、できるほど、
アクセサリーの華やかさが、
自分に溶け込むことを体感できます。

そして、こうでなくちゃいけないんだなあと、
身に染みるはずです。

この感覚のフィードバックを通じて、僕たちは学ぶのです。
言い換えるなら、この三次元空間では、

体感を通じてしか学べません。

成りたい自分を知っているのも自分なら、
そう導けるのも自分だけなのです。

火傷と頭痛

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

突然ですが、病や症状について、
どんな認識を持たれていますか?

この問いかけは、ひかりあめ主催の健康教室では、
いつもお尋ねして来たことです。

まず、火傷と頭痛について、
これらを、どんなカテゴリーで分類しているかを自問すると、

自分たちが、いかに西洋医学や対症療法に浸っているかを、
知ることができます。

 火傷は傷の大きさにもよるけれど、
 これは病気じゃないよね。

 頭痛は、何かの病気の前触れじゃないかな。
 まあ、できたら病院に行けるなら、行っておきたいなあ。

おそらく、こんな見解が相場でしょうか。

もちろん、間違っているとは申しませんが、
この発想は、大切なコトを、
学んでいない証拠なのかもしれません。

小さな子は、火傷を体験していません。
煮え滾るお湯に手を突っ込めば、当然火傷をします。

火傷という症状を通じて、
皮膚の燃えるような痛さを知り、
もう、二度と熱湯に手を触れることは無くなります。

大切なことは、熱湯は危険だということを学ぶことで、
火傷の治療は、その結果を処置する方法論でしかありません。

頭痛も同じです。

以前、那覇市内のクリニックで、
フラワーレメディ外来を担当していた際、
80代の女性から、こんな質問を受けました。

 わたしは冬になると頭痛が酷くなるんです。
 特に寒い日の朝、
外出しようとすると頭が割れるように痛みます。

 病気なんでしょうか。

僕は、正常だと応えます。
寒い外気に触れたことで、頭の血流が影響を受け、
血管近くの敏感な細胞に信号を出しただけだからです。

これは正常な生態反応です。

もうひとつ加えるなら、それは、
外は寒いから、もう一枚服を着た方がイイよという、
身体からのメッセージでもあります。

それなのに彼女は、頭痛薬を飲んで外出していました。
身体に良い筈がありません。

病気でもない正常な生態反応を、
病気かもしれないと心配し、

そして、身体からの貴重なアドバイスを無視したという、
二重の問題を抱えたのです。

火傷も頭痛も、

あなたの身体が、
身体を張ってあなたに伝えようとする、
大切なメッセージです。

症状の全てが、そうでしょう。

辛い症状を緩和したい気持ちは判りますが、

そのような大切なメッセージを、
現代医学や薬学の力で、消失させてしまって、
果たして良いのでしょうか。

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