中今

中今と書いて、
「なかいま」と読みます。

かつての沖縄県知事と同じ読みですが、
当然、無関係です(笑)

これは、日本神道における
歴史観のひとつです。

永遠を活きる魂は、
いつも「今」に存在しますが、

それは、無限の時空を越え、
どこまでも続く宇宙尺度における

「普遍なる中心」を意味しており、
単なる時空上の「現在」ではありません。

神代を継承している「今」であり、
いつもここから、始まっているのです。

少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
僕はこの言葉に、毎日救われています。

過去さえも今の産物だということを、
教えてくれるからです。

そんなバカなと思われますか?

じゃあ、お尋ねしますが、
あなたは、全ての過去を覚えてますか?

それは、在り得ないでしょう。

印象的な思い出だけを
記憶しているだけですよね。

それを、悔やむのも、懐かしむのも、
「今のあなた」です。

忘れてしまった過去も沢山あって、
その中にも大切な出来事もあったはずですが、

あなたが囚われているのは、
その中の「ほんの一部」でしかなく、

しかも、多くの場合は、
わざわざ気分を沈ませるために、
それを思い出しています。

馬鹿馬鹿しいと思いませんか?

今のあなたが、
「よし、終了!」と決めれば、

他の思い出たちと同じように、
あなたの記憶の中に、それは大人しく身を潜めるはずです。

同じように、未来に対して、
憧れる人が多いのにも驚きます。

これも、今のあなたが憧れているだけです。

今の自分に満足できないのなら、
未来に希望を託したい気持ちは解ります。

しかし彼らは、
今の自分の延長が未来の自分だと言う
大切な事実を見落とし、

何か別の自分が、
未来を切り拓いていると妄想しているのです。

今のあなたを、
今、プラスに転じさせなければ、
未来のあなたは、今のままです。

つまり、今は、これだけ大切です。

無限なる宇宙の中心として
大きな価値を持つのが、今、この瞬間なのです。

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手の極性

生命と言う小宇宙には、

まさに宇宙を凝縮したかのような、
バランスや磁場が存在します。

他者のエネルギー・フィールドを
精査しようとする際、

二つの身体を向かい合わせると、
相手の情報を得るコトが出来るのですが、

背中側から相手の波動を探ろうとすると、
上手く行きません。

同じ理由で、向かい合った状態で、
セラピストの左手で相手の右胸部を
アセスメントすると上手く行きますが、

自分の左手で相手の左胸部を調べても、
正しい情報は知り得ません。

これは、生命磁場のもたらす、
手の極性が原因です。

右利き、左利きは、
関係ありません。

人体の生命磁場は、
すべての生命と同じ渦状をなしていますが、

腕や掌という部位に着目するなら、

そのエネルギーの流れは、右手からは放出され、
左手では吸引されてます。

そのため、左右の掌を、
胸の前で合わせる「合掌」は、

自身のエネルギーを循環させる
最善の循環手法だと言うことが解ります。

同様に、向かい合った二人が、
互いの右手を出し合う「握手」は、

放出し合う右手同士が、
向かい合うだけですので、

相手のエネルギーを、
自分の中に取り込む事はありませんが、

向かい合ったふたりが、互いの両手を繋いだり、
正面から抱擁し合えば、

ふたつのエネルギーは、
大きな循環を始めます。

僕たちは、何気ない行動の中に、
生命場や手の極性を活かした生活しているようです。

前例の「握手」について、
もう少し説明を加えるなら、

この行動を磁石で例えるなら、
二つの磁石が、N極とN極を繋いだコトになります。
※もしくは、S極とS極

反発し合うふたつのエネルギーを
握手というカタチで強引に繋ぎ止めていますので、

短時間なら問題ありませんが、
沢山の人と握手してしまうと、
極端な消耗が起こるコトになってしまいます。

こんなときは、

こちららからは両手を差し出して、
相手の右手を包んでみて下さい。

これによって、磁場の循環が適度に起こり、
貴方は消耗せずに済み、
相手に与える印象も良くなるはずです。

宇宙の神秘とも言える、
こうしたエネルギー場を、

実感し、そして感謝する生き方を、
ひかりあめは提案します。

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ツインソウル

エドガー・ケイシーは、人類の起源について、
興味深いリーディングを遺しています。

旧約聖書の創世記第二章には、

 神は土からアダムを創り、
 そして、彼を眠らせ、
 その肋骨からイブを創った

…と書かれています。

動物の肉体は、死ねば土に帰りますから、
土からアダムが生まれても、
何ら不思議なコトはありませんが、

なぜ、アダムを眠らせ、
その肋骨からイブを作ったのでしょう。

これらの世界観について、
エドガー・ケイシーは、
以下のように説明しています。

アダムは、はじめ両性でした。

いきなり、ショッキングな内容ですよね。

初期の人類においては、
両性という状態が確かにあったそうです。

それどころか、
彼らは半霊半物質の状態でもあり、

男でも、女でもなく、
性の分化されていない人間でした。

そして両性の人間には、

男の魂と女の魂が、
同時に存在したそうです。

しかし、僕らの住む、この物質的な世界では、

魂の真価を充分に発揮するためには、
陰陽をはっきりさせる必要がありました。

そこで、これらを分化し、

人として相応しい形に、進化して行ったのだそうです。

アダムが眠ることで、
イブが現れたのは、

こうした性の分化を象徴するのと同時に、
意識の分化も表していると、ケイシーは言及しています。

つまり、アダムは意識であり、
そしてイブは、無意識の象徴なのです。

だから、エデンの園の蛇は、
アダムをではなく、イブを誘惑し、

善悪を知る木の実を食べさせました。

サブリミナルで知られるとおり、無意識は誘惑に弱いからです。

この時のイブの間違いは、
蛇の誘惑に対する答えを、自分自身の内側に聴かず、

五感を通じて、
自分の外側に求めたことでした。

こうして、男と女に分化し、
さらに意識と無意識の分化を得た人類は、

物質的な世界で、
魂の修行を始めることになったのです。

そして、一つの人間の中に、
存在した男女ふたつの魂は、

ツインソウルという形で、
この世界に別々の転生を始めました。

これは、ソウルメイトとは違います。

ツインソウルは、
関連深い形で転生しますが、

双方が肉体を持つ場合もあれば、

片方が肉体を持ち、
もう片方は、守護する存在となることもあるそうです。

ちなみに、現代に見られる、
ニューハーフのような両性と、

初期人類に見られた両性は、
まったく異なる存在です。

この件に関しては、
エドガー・ケイシーの説明はありませんが、

数年前、私的に大変お世話になった方によれば、
現代に見られる両性は、

魂と身体の性が、異なることに起因するそうです。

つまり、男性の身体に、
女性の魂が宿っているワケです。
※もしくは、その逆

もちろん、この時代の人間は、
半霊半物質ではありませんから、

そういう意味でも、彼の説明は納得できます。

また、ツインソウルかどうかは不明ですが、

僕は、こうした存在と、数十年に渡って、
コンタクトをしていた時期がありました。

この数年は、全く会っていないのですが、

精神的にも肉体的にも、
窮地に追い込まれると、

その存在が登場して、
僕に救いの手を差し出したのです。

最後に彼と会ったのは、2009年の夏でした。

彼は自分自身を、僕の兄と名乗りました。

母親によれば、僕には兄となるはずの人が、
確かに居たそうです。

兄に宿るはずだった魂が、
僕が生まれた時、一緒にこの身体に宿ったのでしょうか。

きっと今頃、彼はどこか違う時空で、
誰かのために活躍していると、

僕は強く信じています。

どちらにせよ、ツインソウルという関係性は、
巷に広がるロマンチックなイメージとは程遠い、

魂の覚醒を促すような、
厳しい存在なのかもしれませんね。

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蚤の襲来とトイレの神様

ひかりあめの暢弘です。
当ブログにご訪問頂き、有難うございます。

通いの猫が赤ちゃんを産んで、
もうすぐ2ヶ月を迎えます。

この間に、台風の直撃が3回もあり、
その度に、通いの猫親子が
安全に避難できる場所を作ったのですが、

その3回目の台風前準備のときに、
ある事件が起きました。

猫親子の避難用の小部屋に敷き込んだ、
タオルを交換しようとした、その時でした。

蚤の大群に両足を襲われたのです。

両足の膝下を、数十か所噛まれてしまい、
傷跡は赤く腫れ、熱を帯び、

何よりも、その痒さが強烈なのです。

ステロイド入りの痒み止めを使えば楽になるのですが、
使いたくなかった僕は保冷剤で冷やし、
騙し騙し生活していました。

痒みで夜は眠れず、
日中は朦朧とした状態が、一週間以上続いたのですが、

その間、ずっと、両足とも腫れており、
足底感覚も麻痺していました。

家の中での僕は、
いつも裸足で過ごしているのですが、
足底感覚がないために、
まるで厚手の靴下を履いてるかのようでした。

2週間が過ぎようとした頃、やっと痒みは治まり出し、
足底の感覚も徐々に戻って来ました。

ところが、日に日に増す足底の感覚の敏感さが、
尋常ではないことに気付きます。

ご存じの通り、足底という部位は、
基本的には敏感ではありません。

そうでなければ、素足で歩くのが苦痛ですからね。

この時の敏感さは、
足の裏に蘇った感覚に対して、
感謝が溢れるような、そんな独特なモノでした。

そして、そんな痒みとの、壮絶な闘いを繰り広げる中も、
真面目な僕は、毎日の家事を欠かしません(笑)

家事は趣味でもありますので、
没頭していると、痒みが楽になるコトもあって、
普段以上に真剣に取り組んだのです。

その家事の中には、トイレ掃除も含まれ、
この痒みを忘れるために、

トイレの床も便器も、懸命に拭き上げ、
磨きまくったのです。

そして、数日前、

2箇所あるトイレの掃除を終えたあと、
汗ばんだ身体をクールダウンするために、
何気なく便座に着座したのですが、

綺麗に吹き上げたトイレの床から、
感覚の蘇った足底を通して、

何か特別に清浄なエネルギーが、
僕の脳天に向かって突き上げて来るのが判りました。

そして、その気持ち良い感覚は、
僕に声を出させたのです。

 いつも、いつも、
 トイレを綺麗に磨いて下さって、
 有難うございます。
 有難うございます。
 有難うございます。

僕の意志ではない、小さいけれど、
しっかりとした、綺麗なエネルギーが、
僕の声帯を使って、メッセージを届けたようなのです。

直感で、僕は気付きました。
この言葉の主は、トイレの神様だと。

そして、次の瞬間、目に涙が溢れていたのです。

有難うございます…が、3回だったのが不思議でしたが、
数霊の世界では、「3」は安定や調和を示します。

僕のトイレ掃除は、高校卒業と同時に始まったのですが、
40年経った今頃、トイレの神様を実感できました。

神性が宿るとは、こういうコトなのでしょうね。

こちらこそ、有難うございます。
有難うございます。
本当に素敵な毎日を、有難うございます、神様。

本名で生きる

ひかりあめのゆうすけ改め、暢弘(のぶひろ)です。
当ブログにご訪問頂き、有難うございます。

ここ数日、沖縄も寒い日が続いています。

2週間後の24日、旧暦12月8日の、
ムーチーの日が近付いているのですから、
この寒さは当然なのかもしれません。

さて、Facebookと週刊メルマガでは、
既にお伝えしましたが、

本年の初開所日となった1月5日より、
本名の「齋藤暢弘(さいとうのぶひろ)」で活動しております。

シンガーソングライター時代のステージ名を、
セラピストとなってからも、ずっと名乗り続けていましたが、

土星回帰2巡目となる今年を、より良き年にするために、

17年ぶりに本名を取り戻そう!と、
1月2日の初詣&満月詣の際、ふと思い立ったのです。

日本に古くから伝わる言霊に沿うなら、
氏名(なまえ)は、使命(現世のミッション)なのだそうです。

氏名とは、生誕時に両親から授かるもの。
つまりそれは、自分では決められませんよね。

ですから、そこには、
一切の「我(が)=エゴ」が宿っていません。

日本人の心の故郷でもある神社では、
(かがみ)をご神体とされていることは、
多くの人の知るところでしょう。

鏡とは三種の神器のひとつで、神聖なアイテム。
庶民が手に入れられるようになったのは、
江戸時代以降のこと。

風水の世界でも、強い反射力があるとされ、
鏡を磨かないと、
その家の波動が落ちるとまで言われます。

神社にお詣りに出向き、
ご神体と向かい合えば、

聖なる鏡に自分の姿が映ります。

そして、その「鏡(かがみ)」から、
「我(が)=エゴ」を外せば、「神(かみ)」になります。

そこに映る「自分自身」から「我」を外し、
神性と出会え!という意味なのです。

現世に生れ落ちたときの、最初の贈り物が、
我とは無縁で、しかも一生使う大切な「氏名」を、

宇宙からの聖なる導き(=使命)に向かって
邁進する覚悟を決めたのなら、

氏名と伴に生きるコトが、
最も自然なのではないでしょうか。

さて、この正月明けから、

消失したホームページの、
復旧作業を進めていましたが、

今朝未明、すべての再掲載も終えました。

コンテンツが不十分な面も目立ちますので、
追々、補って行こうと思います。

今回のデータベースの事故によって、
消失した情報は甚大でしたが、

その一方で、こうして、
ホームページとブログの一体化したサイトが誕生し、
シンプルになって良かったと感じています。

特にスマートフォンからご訪問の皆様には、
パソコン版と同じデザインで
お楽しみ頂けているはずです。

ピンチはチャンスの前触れなんですね。

神との初対話

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

11日の早朝、驚くべきことが起こりました。

いつものように、お腹が空いたと主張する、
わが家の三姉妹猫たちのために起床し、

彼女たちのお手洗いを掃除し、
ご飯を用意し、
マッサージをしていました。

すると、三姉妹の中の、
後から加わった双子姉妹の内のポンが、

いつになく人懐っこく、
僕の傍でデングリガエリをしながら、
喉を鳴らすのです。

あんまり可愛いので、暫く彼女に付き合って、
掃除用の刷毛を使って遊んでいました。

10分くらい、遊んでいたと思います。

すると彼女が、日本語をしゃべったのです。

 うまく行ってるのだよ。

僕は思わず聞き返しましたが、
声の主は、ポンとしか思えないのです。

時刻は午前4時を、少し回ったころでした。

最近、光の革命の間では、
地球外生命体とのテレパシーコンタクトの実験をしており、
それが午前4時を指定されることが多いのですが、

もしかすると、ポンの身体を使って、
何かがメッセージをもたらそうとしているのかと思い、
メモを近くにおいて、瞑想をはじめたのです。

すると、

洪水のようなメッセージが、
頭の中に溢れ始めるではありませんか。

急いでメモを取ったのですが、
まったく間に合う速度ではありません。

A5サイズの紙に、殴り書きをすることになったのですが、
自分でも何を書いたのか判らなくなりそうでしたので、

少しでも覚えているうちの、
記憶している内容を、パソコンに入力しようと思い立ちました。

メッセージの洪水は止み、
僕自身も、落ち着きを取り戻したのですが、

せっかくの言葉の殆どを書き損ねたことに後悔し、
速記のスキルを勉強しておけば良かったと反省もしつつ、
パソコンの前に座ったのです。

すると、普段はシャットダウンして終えるはずのパソコンが、
スリープモードから迅速に立ち上がり、

さらに驚いたのは、
日本語エディタの白紙ページが、目の前に現れたのです。

あっけに取られつつも、
殴り書きの紙を見ながら、タイプをし始めると、

書き損ねた単語の選び間違いをすると、

 そうではない

…という言葉を「感じ」、

紙を見てはいるのですが、
僕の思考を無視して、指が勝手に文章をタイプするのです。

結局、A4の紙にびっしりの内容を、
全く思い出すという作業を必要とせず、
メッセージを書き綴ることに成功しました。

速記のスキルは、不要だったのです。

書き留めた内容を読むと、
地球外生命体からのメッセージではなく、

2004年からの十年間、
ひかりあめを守護して下さった存在からのものでした。

内容は、大きく分けて4つありました。

どれもこれも、この十年間、
僕が疑問に感じていたことへの答えでした。

当事者には気付けない、
でも、守護して下さった存在には判るであろう、
客観的な言葉の数々で、

読めば読むほど、心が安らぐのが判りました。

その後は、翌朝も、そして今朝も、
メッセージを感じていません。

答えは、求め続けるモノにもたらされるというのは、
どうやら本当のことのようです。

これも、自然則に沿った生活を送り続けて来たことへの
神様からのご褒美なのかもしれません。

ちなみに、このメッセージを受け取ることとは無関係に、
その日は髪を、ばっさり切るつもりでいたのですが、

予定通り、いつも利用する床屋に出かけ、
人生初の五分刈りにして頂きました。

鏡に映る自分が、慣れ親しんだ僕ではなくなり、
全く別の「ゆうすけ」が、誕生したような気分です。

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