精霊ペポ

8年前の夏、

東アフリカのケニアから来沖された、
スワレ・マテラ長老の講演会に参加しました。

インド洋に面したミリデインという村で、
沢山の家族と暮らす、
ドゥルマの民のお一人です。

彼は、ムガンガ(夢予知者)という力を神様に授かり、
カヤンバという打楽器を使って、

霊障や病気に苦しむ人々を
癒す仕事をされています。

方法や道具は異なるものの、
誰かを癒すという仕事に共通する何かを、
共有することのできた素晴らしい講演でした。

ちなみに、その地方では、
50歳を越えると長老と呼ばれるそうですので、

僕も、こと年齢に関してだけは、
すでに、長老の域に踏み込んでいるようです。

この講演を紹介して頂いた方からは、
マテラ長老は、かなりのご高齢なので、

今回の来日が最後の機会になるだろうと
伺っていましたが、

2時間の講演の間、彼は一度も着座せず、
身振り手振りを織り交ぜた、
エネルギッシュなトークをされました。

おそらく、8年経った今も、
元気で活躍されていることでしょう。

そんなドゥルマの人々ですが、

太鼓と踊りと祈りを組み合わせた先祖供養を、
日々の暮らしに盛り込んだ、
独特な文化を有しており、

夜、その地で写真を撮ろうものなら、
ペポと呼ばれる沢山の精霊や先祖霊たちが、
被写体の中でシャボン玉のように映り込みます。

講演の中でも、その写真を何点か拝見しましたが、
それは、綺麗な乳白色の球状のもので、

大きさは、コブシ大ほどから、
人の顔ぐらいまでと様々です。

人の目には映らないので、
カメラのレンズフレアのような仕組みで、
フィルムに焼き込まれているのかもしれませんが、

その球状のペポたちは、
例外なく、バランスの良い真円を成しているのが、
僕には特徴的に見えました。

フラワーレメディの世界でも、
花の全体像の均衡の程度が、
エネルギーの持ち味を左右します。

きっと、ミリディン村のペポたちは、
日々の供養に満足しているからこそ、

綺麗で調和の取れた球状を
保ち続けているのでしょうね。

例えば、5~6人の子供たちを
被写体に写真を撮れば、
100個前後の大小様々なペポが映り込みます。

人の数より、圧倒的にペポの方が多いのです。

僕たち人間のように、
物理的な身体を宿った魂は、
実は、物凄く稀少な存在だということは、

頭では理解していたつもりでした。

しかし、こうして、
写真として目の当たりにすると、

僕たちは、多くのペポを代表して、
自由に動く身体を手に入れている有難さが解ります。

この現世に、
生きた証を遺せるということは、

身体を持つ奇蹟を許されたモノだけに、
託された力なのですから、

不平不満を言ったり、
確信や自信が無いと言って、
前進を躊躇している場合ではありません。

身体を使って前進し、
失敗は学びに変えて、

限られた人生を謳歌したいものです。

講演の後、僕はそのカヤンバを、
購入させて頂きました。

興味のある方は、
ひかりあめで演奏をしてみて下さい。

あなたのペポに、
出会えるかもしれません。

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表現の正体

自身の水星力を思い出す、もしくは成長させるために、
何等かの表現の場を持つコトを、

僕にアドバイスされた方は少なくないでしょう。

僕にとってのそれは、このブログであり、
ライン@のメッセージであり、
週刊音声マガジンなのですが、

それらは日記ではありませんので、
いつかネタの尽きる日が訪れそうなものですが、

有難いコトに、その時は、
なかなかやって来ません。

毎回、何を書くのか、
その都度、考えているワケではなく、

1本の記事を書く中で、
その日の投稿から連想される別のテーマを
ポイントだけメモするようにしているのですが、

多くは、そのメモの内容が、
そのまま、後日の記事のタイトルとなって、

タイトルを通じて湧き出てくる文章を、
僕の言葉で、まとめるようにしています。

もちろん、合間合間に辞書を多用し、
正しい日本語表現、大人らしい日本語表現を、

心がけるようにもしています。

そんな僕の、愛用の電子辞書はこちら。

今年刷新された、こちらのアナログ辞書も、
超おススメです。

さて、さて、

今日、お伝えしたいコトは、
こうしたネタが、
尽きるか否かという話しではなく、

こうして、タイトルだけ提供されたときに起こる、
僕と言う人間の、興味深い反応についてです。

おそらく、誰にでも起こっている現象ですが、
最近の僕は、その反応が顕著な気がします。

早朝、リストに書き溜めておいたタイトルたちを、
しばらく眺めていると、
書きたいモノが、目に飛び込んできます。

すると、次の瞬間、そのタイトルに沿った、
2通りの文章が湧き出て来るのです。

ひとつの文脈は、そのタイトルに相応しい、
僕の記憶を辿った、それらしい文章であり、

そして、もうひとつは、

僕の顕在意識とは全く無関係の、
一見突拍子も無い内容なのですが、

最終的には、その日の記事の骨子ともなる、
無くてはならないモノに化ける、
そんな可能性のある文脈なのです。

言葉では表現し難いのですが、
それはまるで、もうひとつのテーマのようなモノです。

ですから、完成に至る前の僕の文章は、
支離滅裂もイイところで、

そうした中から、この作業を客観視している、
もうひとりの僕の指示によって、

テキストエディタのカット&ペーストを駆使し、
最終的な文章へと仕上がって行きます。

こんな表現をすると、
さすが変人!と、拍手を頂戴しそうですが(笑)

おそらく人間という創造物は、
自分自身と常に対話しており、

自己表現をする必要があるときには、
自分対自分の論議の結論だけを
誰かに伝えているのではないでしょうか。

論議をしている一人目の自分とは、
もちろん、顕在意識側の自分です。

自分の良く知る、社会的にも知られた、
現世を生きる自分のことです。

そして、もうひとりの自分とは、
物理的な身体に繋がった、永遠の存在である魂です。

その魂の声を五感がキャッチし、

言い替えるなら、聞いたり、触れたり、
味わったりしながら、

そうした、自分自身と向き合った結果が、
自己表現と呼ばれるモノなのでしょう。

このようにして、表現を日々重ねるコトで、
大切な何かに触れる可能性が高くなるワケですから、

自分を表現し続けることは、
止めたくないし、
止めるべきではないはずです。

古より、様々な形で伝わる、
まず、実践せよ!と言う賢者の言葉は、

魂と出会うチャンスを増やせ!と、
僕たちに教えているに違いありません。

魂は、高次の自己とも呼ばれます。

ということは、
かなり周波数の高い存在です。

つまり、実践という形で、
何等かの自己表現を続けて行けば、

僕たちの波動は、自ずと高まるのです。

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器用/不器用

先日、治療所のフロントで、
ノートパソコンに向かって、
治療記録をタイプしていたところ、

それを見ていた高校生の利用者さんに、
こんなコトを言われました。

 暢弘さんて、
 パソコンのキーボードを
 器用に使いこなすんですねぇ。
 パソコン教室で習ったんですか?

僕は、昭和57年に
産業用ロボットの関連企業に入社し、

その時から、
コンピュータとの付き合いが始まりました。

まだ、パソコン教室なんて、
存在しなかった頃です。

当時の一番の悩みは、
キーボード配列に馴染めなかったコトでした。

もちろん、マウスなんてありませんから、
キーボードが操作できなければ、
何も仕事ができません。

タイプライターの経験のあった友人は、
キーボードのキーの並びに
違和感が無かったようでしたが、

そういう類のコトには、
まったく無頓着だった僕は、

意味不明のキーの並びを覚えるコトが、
苦痛で仕方ありませんでした。

さらには、コンピュータ関係の説明書は全て英語で、
使われている単語は、技術用語ばかりですから、

学校で習った英語の知識くらいでは、
まったく歯が立ちませんでした。

ところが、そんな僕には、
ギターの独学経験がありました。

右手と左手の指先を規則的に動かす訓練を、
中学生の頃からしていたコトを思い出し、

キーボード配列を覚えようとするのではなく、
感覚的に手指の骨の動きを
身体に叩き込むコトにしたのです。

パソコン操作に使う英単語ベースのコマンドは、
せいぜい数十種類です。

ギターのコード(和音)や、
アルペジオパターンと比べれば、
圧倒的に少ないバリエーションです。

ですから、パソコンのコマンド毎に、
キーボードをギターのように演奏しているつもりで、
手の形や指先の流れを覚えました。

この作戦は、大成功を収めました。

ある日突然、キーボード操作が上達した僕に、
先輩たちは驚きました。

まだまだ、余裕はありませんでしたが、
それからというもの、
あれだけ大きかったはずの悩みが、

跡形も無く消えたのです。

その十数年後だったでしょうか、
パソコンやタイプライターのキーボードには、
ホームポジションという手の基本形が存在し、

そこから、必要なキーに向かって
指を伸ばす訓練方法があるコトを知りましたが、

完全に自己流で
キーボードと向き合っていた僕には、
もはや「釈迦に説法」でした。

確かに、こう言った「慣れ」の世界では、
器用とか、不器用という尺度が
存在するのかもしれません。

ですが、器用という才能が、
突然開花するコトは絶対になく、

以前習得した何かが、
違う形に応用できるだけのコトであって、

それは、完全なる必然なのだと思うのです。

地道に何かに取り組んでいると、
その知識や経験は、
まったく違う世界のモノとも融合を始めます。

おそらくこれは、神様からの祝福以外の、
何物でもないでしょう。

そうやって、色々と学ぶコトで、
習得の快感は、さらに深まり、
もっと何かを学ぼうと精進を続けるのです。

もう、ゼロの状態から
何かを切り拓く必要は無いという真理を、
経験上、理解した知識欲は、

小さな必然と丁寧に向き合いながら、
成長して行くのでしょうね。

何もかも出来る人はおらず、
何も出来ない人もいない。

そこに存在するのは、

自分には出来る…ことを知っている人と、
出来ている自分さえ知らない人…の2種類です。

前者であり続けましょう。

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与えられた才

人には必ず、何かしら、
与えられた才脳があります。

ところが、なぜか、
その対極となる部分に、
僕たちはフォーカスしてしまいがちです。

つまり、自分に出来ないコトに、
思い悩んでしまうのです。

 どうして自分は、
 ○○が出来ないんだろう。

…と、出来ないコトと向き合う時間を、

自分に出来るコトを、
実践する時間にシフトし、
かつ、積極的に動いてみませんか?

もちろん、動く方向も自分で決め、
その選択と行動の結果には、責任を持ちます。

これを一日中、そして一年中、
誠意をもって続けるのです。

はじめは、小さな結果しか
残らないかもしれませんが、

出来ることのバリエーションは、
その積み重ねによって、
自ずと広がらざるを得なくなります。

例えば、昨日と今日で、
自分に出来るコトを選択した結果、

全く同じ課題に取り組んだとします。

しかし、人間の不確実性は、
時としてチャンスを提供してくれます

ちょっとした着想の違いや環境の違い、

そして、自身の手法の違いが、
微妙に違う結果をもたらすのです。

これが、才能や能力の拡大へと、
そして、可能性の拡大へと繋がって行くのです。

こうして、出来るコトが少しでも増えれば、
出来ないコトが減るワケであり、

その結果、思い悩むキッカケも減ります。

これだけでも、
充分に有難いのですが、

積極的に自分と向き合うのであれば、
さらに心掛けたいコトがあります。

それは、目標を決めておく…というコトです。

そうすることで今度は、
無意識が味方になります。

何かを実行している時、
人間の不確実性のもたらすチャンスの方向が、

目標に向かって、
無意識に軌道修正されるようになるからです。

これこそが、
目的意識を持つことの利点です。

逆の言い方をするなら、
目的や目標があっても、

何の行動もしなければ、
そこへ一歩も近付くことはありません。

エドガー・ケイシーのリーディングの中に、

 自分に与えられた仕事や環境に対して、
 常に最善を尽くせ

…という意味の言葉が
何度も、何度も、登場します。

僕たちは、何か特別な能力が、
ある日突然、宇宙からもたらされると
期待しがちですが、

そんな都合の良い偶然は存在しません。

だから今日も、出来るコトに感謝を込めて、
最善を尽くすべきなのでしょうね。

出来るコトを、日々、楽しみましょう。

僕たちの中に眠る才は、
広がりたくてウズウズしています。

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中今

中今と書いて、
「なかいま」と読みます。

かつての沖縄県知事と同じ読みですが、
当然、無関係です(笑)

これは、日本神道における
歴史観のひとつです。

永遠を活きる魂は、
いつも「今」に存在しますが、

それは、無限の時空を越え、
どこまでも続く宇宙尺度における

「普遍なる中心」を意味しており、
単なる時空上の「現在」ではありません。

神代を継承している「今」であり、
いつもここから、始まっているのです。

少々大袈裟に聞こえるかもしれませんが、
僕はこの言葉に、毎日救われています。

過去さえも今の産物だということを、
教えてくれるからです。

そんなバカなと思われますか?

じゃあ、お尋ねしますが、
あなたは、全ての過去を覚えてますか?

それは、在り得ないでしょう。

印象的な思い出だけを
記憶しているだけですよね。

それを、悔やむのも、懐かしむのも、
「今のあなた」です。

忘れてしまった過去も沢山あって、
その中にも大切な出来事もあったはずですが、

あなたが囚われているのは、
その中の「ほんの一部」でしかなく、

しかも、多くの場合は、
わざわざ気分を沈ませるために、
それを思い出しています。

馬鹿馬鹿しいと思いませんか?

今のあなたが、
「よし、終了!」と決めれば、

他の思い出たちと同じように、
あなたの記憶の中に、それは大人しく身を潜めるはずです。

同じように、未来に対して、
憧れる人が多いのにも驚きます。

これも、今のあなたが憧れているだけです。

今の自分に満足できないのなら、
未来に希望を託したい気持ちは解ります。

しかし彼らは、
今の自分の延長が未来の自分だと言う
大切な事実を見落とし、

何か別の自分が、
未来を切り拓いていると妄想しているのです。

今のあなたを、
今、プラスに転じさせなければ、
未来のあなたは、今のままです。

つまり、今は、これだけ大切です。

無限なる宇宙の中心として
大きな価値を持つのが、今、この瞬間なのです。

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笑う/唄う

心の底から、笑っていますか?
魂の声で、唄っていますか?

その「つもり」の人は、多いかもしれません。

僕も、その一人でしたし、
今でも、ブレそうな日々を送りがちです。

もちろん、こう言った、
心や魂の成長の切り札となる大切なコトに

全く興味を持たぬ人たちよりは、

たとえそれが「つもり」であったとしても、
その方が、ずっとマシです。

でも、どうせなら、
本気で遣ってみましょう。

心の底から笑い、
魂の声で唄ってみましょう。

なぜ、笑うのでしょうか。
心身波動を、より高めるためです。

なぜ、唄うのでしょうか。
魂と身体を、よりしっかり繋ぐためです。

この二つの実践は、
ひとつひとつにも意味がありますが、

笑って、かつ唄ったとき、
そのワンセットは大成長のための活路を開きます。

そして、それを実践する身体が、
地にしっかり足を降ろしているとき、
その効果は最大限に膨らみます。

日々の仕事に対して、
その日の自分に可能な限り、
真摯に向き合っていますか?

この世に起こる病の多くは、
大地との関係性が、
希薄になった生命に起こります。

病に足元をすくわれ、
本来の生命エネルギーが失われたり、
周囲のエネルギーに干渉されたりするのです。

大前提となるコトは、この身体が、
物質的世界でしっかり生きるコトであって、

その活動を通じて、

心の底から笑って、
自らのボディとマインドの波動を高め、

さらに、魂の声で唄うことで、
転生を越えた使命と向き合えるのではないでしょうか。

そして、この三位一体の取り組みが、
きっと、その人に相応しい成長を約束するのです。

精神性がどんなに高まっていたとしても、
浮き足立ってしまっていては、

感情や欲求にどっぷり浸かった状態と、
五十歩百歩なのです。

この三次元身体に宿るコトのできる魂は、
ホンの一握りだそうです。

せっかく授かった生を、
共に、そして大切に育みましょう。

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手の極性

生命と言う小宇宙には、

まさに宇宙を凝縮したかのような、
バランスや磁場が存在します。

他者のエネルギー・フィールドを
精査しようとする際、

二つの身体を向かい合わせると、
相手の情報を得るコトが出来るのですが、

背中側から相手の波動を探ろうとすると、
上手く行きません。

同じ理由で、向かい合った状態で、
セラピストの左手で相手の右胸部を
アセスメントすると上手く行きますが、

自分の左手で相手の左胸部を調べても、
正しい情報は知り得ません。

これは、生命磁場のもたらす、
手の極性が原因です。

右利き、左利きは、
関係ありません。

人体の生命磁場は、
すべての生命と同じ渦状をなしていますが、

腕や掌という部位に着目するなら、

そのエネルギーの流れは、右手からは放出され、
左手では吸引されてます。

そのため、左右の掌を、
胸の前で合わせる「合掌」は、

自身のエネルギーを循環させる
最善の循環手法だと言うことが解ります。

同様に、向かい合った二人が、
互いの右手を出し合う「握手」は、

放出し合う右手同士が、
向かい合うだけですので、

相手のエネルギーを、
自分の中に取り込む事はありませんが、

向かい合ったふたりが、互いの両手を繋いだり、
正面から抱擁し合えば、

ふたつのエネルギーは、
大きな循環を始めます。

僕たちは、何気ない行動の中に、
生命場や手の極性を活かした生活しているようです。

前例の「握手」について、
もう少し説明を加えるなら、

この行動を磁石で例えるなら、
二つの磁石が、N極とN極を繋いだコトになります。
※もしくは、S極とS極

反発し合うふたつのエネルギーを
握手というカタチで強引に繋ぎ止めていますので、

短時間なら問題ありませんが、
沢山の人と握手してしまうと、
極端な消耗が起こるコトになってしまいます。

こんなときは、

こちららからは両手を差し出して、
相手の右手を包んでみて下さい。

これによって、磁場の循環が適度に起こり、
貴方は消耗せずに済み、
相手に与える印象も良くなるはずです。

宇宙の神秘とも言える、
こうしたエネルギー場を、

実感し、そして感謝する生き方を、
ひかりあめは提案します。

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想いを放つ

ご存じの通り、僕たち人間は、
常に想念を放射し続けています。

何かを「想う」たび、
それに見合ったエネルギーを、
この身体から放つのです。

言い替えるなら、自分の生命場を、
外の世界に向かって投射し続けているワケです。

優秀なセールスマンの日々の言動に、
その好例を見つけるコトが出来ます。

彼らは、お客様を、
自分のペースに巻き込む達人ですよね。

それは、自分の生命場を、
クライアントの生命場に投射するコトを通じて、

自らの想念を巧みに制御しながら、
お客様を巻き込む環境エネルギーを作り出し、

そうした中で、契約書に、
サインまでさせてしまうのです。

もっとも、このメカニズムを理解して、
自身のエネルギーを投射する人も少ないですし、

解っていながら
受け続ける人も少ないでしょう。

しかしこのように、意識の有無に関わらず、

思考が想念を作り、
想念が生命場を作り、
放射された生命場は世界を創ります。

まさに、この繰り返しが、地球時空の構造の根幹と言えるでしょう。

「思考が現実化する」と、言われるのは、
こうした背景があるからであって、

「想い」は物質の根源なのです。

実際、人間の仕草も姿勢も、
その人の想いを表しているコトに疑いの余地は無く、

それは、骨格にも影響を与えますから、
事態が慢性化する場合も少なくありません。

こうなると、思考を何とかせねば、
物質界もさることながら、

自らの健康さえ、
不明瞭な状態になりかねません。

そこで、思考を司る脳に
着目せざるを得なくなるワケですが、

困ったコトに、その大切な脳は、
これまでの学校教育の中で、
創造ではなく、分析を学んでしまいました。

創造とは、内側から湧き起こるものですが、
分析は、外界に対する脳の反応でしかありません。

五感を通じてインプットされた刺激に対し、

脳は、選り好みやジャッジを繰り返しながら、
主体性の無い思考を生み出します。

客観性に欠けるそうした思考は、
困惑した想念を世界に放射し、

ついには、その混沌が現実化するのです。

このように、脳の使い方を間違えた思考は、
物質化した際に絶大な差となって
自らに降り注ぎます。

ある意味、これが、
平成の大不況以来定着している問題の背景であって、

2011年の震災以降、
その勢いは、さらに加速しています。

今からでも、遅くありません。

学校や社会で学んだことは一旦忘れ、
分析より創造の優位な状態に、
脳をシフトさせましょう。

解りやすく言うなら、
あれこれ思い悩む(=分析)のではなく、
好きなコトに取り組めば(=創造)良いのです。

創造の優位な状態となった脳は、
調和に満ちた想念を世界に放ち始めるはずです。

圧倒的に大きな民意(集合意識)を、
創造エネルギーに大変換すれば、

素晴らしい未来を、
容易く作り出すことも出来るでしょうね。

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葛藤のメカニズム

(カズラ)と藤(フジ)という、
ふたつの植物を並べた言葉が「葛藤」です。
※画像は前者のカズラです

いずれもツル性植物ですが、
異なるふたつの植物が、
もつれ合い、混乱した状態を表現しています。

魂が肉体に宿り、
時空の制限を受けて生活をしていると、

魂の成長過程における、ある瞬間において、

自らの信念に反した行動をしてしまった時、
この混乱が起こります。

本来、人間の本質は、
すべての可能性に向けてオープンであり、

寛大さと柔軟さが正しい選択を行い、
見事なまでの適応力が、

さらなる成長を約束するはずなのですが、
なかなか、こうはなりません。

逆に、こうした反応を、
当たり前にこなせるようになるコトを、
「覚醒」と言うのでしょう。

葛藤を放っておくと、
生命エネルギーの流れがぎこちなくなり、

緊張した部分が病気になったり、
何らかの症状が現れたりします。

…ということは、

覚醒した聖人にならずとも、
葛藤と決別する方法を体得すれば、

僕たちは、健康を手に入れられるのです。

葛藤を生み出すモノ、
それは、偏見です。

魂は、自分がどこへ行って、
何をすれば良いかを、いつも知っていますが、

外部からの情報を、
五感を通じて得る身体感覚意識は、

五感の感度や、社会に対する認識の違いから、

例え同じモノに出会っても、
時と場合によって様々な反応をしてしまいます。

偏って感じ取り、
偏った分析をし、
偏った反応をしてしまうのです。

これが偏見です。

賢者たちは、
「偏見を捨てなさい」と言いますが、

偏見は、社会や集合意識の奥底に棲み付き
まるで信念のように振舞うため、

認識して取捨選択するコトは困難です。

こう説明すると、

もう抜け出せない迷路に、
入っていると思われるかもしれませんが、

実は、そうではありません。

葛藤は、僕たちが自分らしさを知るために、
神様の用意されたチャンスです。

物資的な、そして感情的なこの社会で、
自らを取り戻すキッカケとして提供されたモノが
葛藤という苦悩だと考えてみましょう。

苦しいから、抜け出そうとするんですよね。

もしそこで、
苦しみ、もがかなければ、

何も取り戻すコトができずに、
泥沼に埋没し、閉じ込められてしまうかもしれません。

つまり、ジタバタ苦しむことは、
価値ある行為なのです。

ですから、聖人の域に達することなく、
偏見を捨てるためにすべきことは、

自身の判断に対して、
客観的である習慣を身に付ければ良いのです。

例えば、あなたが、
Aさんが気に食わないのであれば、

Aさんを支持する人々の意見を、
敢えて聴いてみましょう。

こうすることで、Aさんに対する、
あなたの向き合い方を知るコトができます。

その結果、如何にあなたが、

偏って感じ取り、
偏った分析をし、
偏った反応をしていたかを、

思い知るでしょう。

こうして浮かび上がったモノが、
あなたのしがみついている信念です。

あなたなりの基準や拘りがあり、
それらをモトに判断していたコトが、客観的に解るはずです。

そして、その瞬間から、
あなたの判断に変化が現れます。

これこそが、小さな「覚醒」です。

この小さな取り組みを積み重ねるコトで、
あなたの心身波動は好転し、

葛藤の無い人生への扉が開くのです。

そして、2012年末からはじまった、
この水瓶座の時代は、こうした流れを、
サポートしてくれるエネルギーの宝庫でもあります。

宇宙からの恩恵を、
受け取らない手は無いですよね。

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躊躇と実行

躊躇するコトと実行するコトは、間逆な関係にあります。

因果とか、カルマとか、
その言葉遣いはどうであれ、

人生で、遣らねばならないコトがあったとき、
人は必ず、これらのどちらかを選ぶはずです。

躊躇すると言うコトは、
その課題を先延ばしにするコトであり、

いつまで経っても、
問題は解決しないどころか、

日を増すごとに、状況は複雑化しかねません。

そのため、放っておけばおくほど、
実行するコトができなくなり、

ついには、一生せずに、
人生を終える場合すらあるでしょう。

これは、悪い意味で、
自分の人生をコントロールしてしまうばかりか、

本来与えられているはずの自由度を、
自ら束縛する結果を生みかねないとは思いませんか?

さらに意識は、
その課題に対してドンドン敏感になり、

躊躇するための要因は、
その感性に比例して大きく育ってしまいます。

結果として、後をひくどころか、
次の転生にまで、その課題を持ち越すことにもなりますから、

決して良い気分を味わうコトはできないでしょう。

一方、実行するというコトは、
体験して、終らせてしまうと言うコトです。

その結果は様々で、
辛かったり苦しかったするコトの方が、
圧倒的に多いようです。

ですが、その時どんなに辛いとか、
苦しいとか感じたとしても、

総じて言えることは、後になれば、
全て良い思い出に変わってしまう
モノのようです。

そして、体験し終えていますから、
次に同じ問題に直面しても、
一回目よりリスクを感じずに済んだり、

場合によっては、
幸福感さえ抱く場合もあるでしょう。

魂が成長しているため、
言い替えるなら、魂が鍛えられているため、

同じ問題であっても、
反応がポジティブになって、

コトと次第によっては、上達の域まで達し、
災い転じて福と成す場合もあるかもしれません。

躊躇するコトと実行するコトは、
ココまで違うんですね。

ちなみに、因果やカルマは有限の課題ですから、
その人生で味わわねばならない課題を終えてしまえば、

残りの人生は、遣りたいコトを遣りたいだけ楽しめ、
成りたいモノに思い通りに成れるための、

真の意味での自由な時間が、
土星から与えられるかもしれません。

それが、3次元世界における、
魂と時空の調和というモノだからです。

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