satoko's essay

第六話 父と私

私は、東京生まれ東京育ちの父と母の元に生まれました。
妹がいる、4人家族です。
 
今回は、父との事を書いてみたいと思います。
 
父は、一つの会社で定年を越えて勤め上げ、退職後は弓道を楽しんでいます。
明るく、真面目で、人情味のある江戸っ子気質の人です。
 
今は、父の魅力を受けとめてご紹介できるようになりましたが、
以前は、そうではありませんでした。
 
犬猿の仲と言われるくらい、
子どもの頃から喧嘩ばかりしていました。
 
食卓では、父と向かい合わせにならないよう
家族内で配慮してもらっていたくらいです(笑)
 
私には、家に居場所が感じられず、何度も家出をしたり、
大人になっても、あまり家族と共に時間を過ごしませんでした。
 
今になって思えば、風の吹くまま気の向くまま、
自由にさせてもらっていたなと感じます。
 
さて、父に対しては、いつも文句があったように思います。
たとえば、過干渉でうるさいなぁとか。
父の生活習慣にも、一々、物申していました(笑)
 
それが一転して、父が今までかけてくれていた
私への愛情に、気がつくきっかけがありました。
そのきっかけの核となったのは、
自分自身の幸せを生きると決めたことです。
(前のエッセイにも書かせていただきましたが)
 
自分にとっての幸せが何なのかわからず、右往左往していた私が、
自分自身の幸せを基点に、行動し始めました。
 
すると、今まで問題としていたことが
些細なことに感じられたり、気にならなくなりました。
 
不思議と感謝が溢れ、
父への文句も、いつの間にか消失してしまいました。
 
よく、感謝の大切さが言われますが、
自分の内側が満たされれば、感謝は自然と
出てくるものなんだなと思いました。
 
人のネガティブな側面よりも、
光に興味関心が向くようになりました。
 
光が輝くと、今までの闇は内包されて、
深みを増し、魅力にさえ思えてきます。
 
今が全面的に肯定されると、
ポジティブやネガティブという概念を超えて、
過去までもが輝くのです。
 
この、一連の変化の中で、私は、結婚を決めました。
年の差婚だし、一度も顔を合わせないうちに決めた結婚だし(笑)
…その他いろいろと、父の心配の種は尽きることがないようで、
しかめっ面で、質問攻めにされる日々が続きました。
 
それから少しして、彼に会ってもらいました。
父は、彼も質問攻めにしていましたが、
「理解したい」という思いで、
彼に向かっているのが伝わって来ました。
 
そんな父から、「おめでとうな」と声をかけられた時には、
胸からこみ上げてくるものがありました。
 
あぁ。私が今まで感じていた、口うるささは、
幸せを生きていない私に対して、「幸せになれよ」の
メッセージだったんだな。と、感じました。
 
だから、私の幸せそうな姿が目に映ったとき、
「本当に幸せなら良し」と、まるまるっと
包み込んでくれたのかなと思います。
 
放浪の人だった私ですが、
今は、居場所があるように感じられます。
結婚後の家族の所にも、元の家族の所にも。
 
「○○をしなければ」「やらなきゃ」「このままではダメ」と、
焦燥感で煽られるように生きてきた私が、何もしない時間も
幸せを感じることができるようになりました。
家族への愛おしさとともに。
 
私は長い間、父のネガティブな側面ばかりを見てきました。
 
時々想像していたのです。
父が亡くなった時、私は、父のことをどう回想するだろう。
お葬式の日、参列者に何を語るだろう。
あたたかい思い出は浮かんでこないし…。
血の通った言葉は出てこないな…と。
 
父を嫌悪しながら、そんなことを思っていた私。
不思議ではありますが、今は、その嫌悪の感覚が思い出せません。
過去にそう感じていた事実は覚えている。という状態です。
 
内なる幸せを、愛を、大きく広げていくほど、
ひとりひとりの光を見ることができるようになる。
 
父を通して学ばせてもらったことです。