生態系を担う

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

耐陰性という言葉をご存知でしょうか。

フラワーレメディとは関係の深い言葉ですが、
利用者やセラピストには、縁の無い単語です。

多くの療法では、施術を受ける側である利用者と、
施術を行う側のセラピストしか存在しませんが、

フラワーレメディにおいては、
もう一レベル存在します。

それは、僕のように製薬まで携わる
フラワーレメディストという立場であり、

彼らはセラピーを行うだけではなく、
レメディ(薬)を作ることも仕事の一部です。

この療法における治療薬は、
太陽法という製薬プロセスがメインになりますが、

そこで、薬作りを左右する大切な要素の一つが、
陽の光なのです。

ですが、

耐陰性とは、
製薬のプロセスとは無関係です。

それは、製薬対象となる
植物の生態のひとつです。

文字通り、
陽の光の届かぬ陰に
耐えられるかどうかということです。

先日完成した、
ひかりあめの運動療法ガーデン(仮称)は、
その後も、毎日のように除草作業が続いています。

敷き詰めたバラス(小石)の下から、
抜根の不完全な雑草たちは、
石の隙間から逞しく発芽します。

それを1本1本抜き取る仕事が、
毎朝の開店準備前の作業に加わったワケですが、

昨日のような定休日でも、
休むことはできません。

雑草たちは、バラスを敷かれたコトで、
地表の温度や湿度が変わり、

同時に地表に陽の光が届かなくなったにも関わらず、
こうして毎日発芽します。

温度や湿度の条件に
発芽を断念する種もありますが、

多くの雑草たちは、耐陰性に優れているため、
こうして新しい芽を出すのです。

植物の中には、
耐陰性の低い種類も沢山あり、
その代表格が芝です。

一見逞しそうな芝ですが、
彼らは日陰では、生きることができません。

芝生に、枯葉が一枚舞い落ちたとしましょう。

落ちた葉が、風に飛ばされることなく、
数日間、同じ場所にあろうものなら、

その下にあった芝は枯れてしまいます。

耐陰性の高い植物は、
陽の光が得られなくても育つコトができますが、

芝のような耐陰性の低い、もしくは無い植物は、
この例のように枯れてしまいます。

ひかりあめの敷地は、平均斜度30度以上の傾斜地で、
そこを切り拓いて建築しましたが、

全敷地の3割以上は傾斜地のままで、
その部分は土の崩落を防ぐため、芝を植えてあります。

そのため、芝の間から生える雑草の除草と、
芝の上に堆積した枯葉を取り除く仕事も、
定期的なメンテナンスとして、必要不可欠になります。

雑草たちは、芝の根本で発芽しますから、
陽の光の届かぬ悪条件の下で、
まず、その成長が始まるワケです。

しかし、彼らは耐陰性が高く、
光が無くても成長できるため、

その状況を放置しておくと、
やがて芝より背が高くなってしまいます。

そして、芝の上空で雑草が葉を広げようモノなら、
彼らの成長の勢いは、
光合成が加わるため、さらに加速しますが、

雑草たちが葉を広げることによって、
その葉の陰となった芝が枯れ始めます。

芝には、耐陰性が無いからです。

こうした流れの中で枯れた芝は、
ついには雑草たちの堆肥となり、
この勢力争いは、雑草たちに軍配が上がるのです。

フラワーレメディの植物の中で、
特に耐陰性の高い種がビーチです。

耐陰性を備えたビーチは、後から森の仲間に加わっても、
陽光を必要としないため、スクスクと林床で成長できます。

そのうち、既存の植物より背が高くなり、
ビーチは森の冠となって幹を広げるのです。

ビーチによって陽の光が届かなくなった、
先駆植物たちは枯れて消え、

やがてその森は、
ビーチだらけになるコトさえあります。

これが、野生の純林(単一植物による森)の仕組みです。

そんなコトを考えながら、
毎朝、運動療法ガーデンのメンテナンスをする僕は、
ビーチのような存在の敵と、言えるでしょう。

つまり僕は、この生態系を託された管理者なのです。

こうして作られる環境によって、
優位になる生物もいれば、追いやられる生物もいます。

どちら命も、自然において平等ですので、

生態系の頂点に在って、その管理を担ったモノは、
単なる維持管理をするだけでなく、

生命への感謝を、日々携えねばなりません。

ただ義務感だけで、雑草を引き抜いたり、
除草剤を撒いて一網打尽にしていては、
雑草たちに恨まれるだけです。

雑草1本ずつに、しっかりと手を掛けて、
心を込めて向き合うコトが、

生態系を担う者に、本来求められるべきでしょう。

少なくとも僕は、
そうであり続けたいと思います。