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ゆうすけです。
耐陰性という言葉をご存知でしょうか。
実は、フラワーレメディとは関係の深い言葉ですが、
ご利用者やセラピストにも、一見、縁の無さそうな単語です。
多くの療法では、施術を受ける側であるご利用者と、
施術を行う側のセラピストしか存在しませんが、
フラワーレメディにおいては、
もう一レベル存在します。
それは、僕のように製薬まで携わる、
フラワーレメディストという立場であり、
彼らはセラピーを行うだけではなく、
レメディ(薬)を作ることも仕事の一部です。
この療法における治療薬は、
太陽法という製薬プロセスがメインになりますが、
そこで、レメディ作りを左右する、
大切な要素の一つが、陽の光です。
ですが、
耐陰性とは、
製薬のプロセスとは無関係です。
それは、製薬対象となる植物の、
生態のひとつです。
文字通り、陽の光の届かぬ陰に、
その植物が耐えられるかどうか、
…ということです。
ひかりあめの敷地の半分以上は、
定期的な除草の必要な空間なのですが、
敷き詰めたバラス(小石)の下から、
抜根の不完全な雑草たちは、
石の隙間から逞しく発芽します。
雑草たちは、バラスを敷かれたコトで、
地表の温度や湿度が変わり、
同時に地表に陽の光が届かなくなったにも関わらず、
こうして発芽するのです。
温度や湿度の条件に、
発芽を断念する種もあるのでしょうが、
多くの雑草たちは、耐陰性に優れているため、
こうして新しい芽を出します。
植物の中には、
耐陰性の低い種類も沢山あり、
その代表格が、ガーデニングの主役ともいえる芝です。
一見逞しそうな芝ですが、
彼らは日陰では、生きることができません。
芝生に、枯葉が一枚舞い落ちたとしましょう。
落ちた葉が、風に飛ばされることなく、
数日間、同じ場所にあろうものなら、
その下にあった芝は枯れてしまいます。
耐陰性の高い植物は、
陽の光が得られなくても育つコトができますが、
芝のような耐陰性の低い、もしくは無い植物は、
このように枯れてしまうのです。
一方、耐陰性に優れた雑草たちは、
芝の根本で発芽しますから、
陽の光の届かぬ悪条件の下で、
まず、その成長が始まり、
その状況を放置しておくと、
やがて芝より背が高くなってしまいます。
そして、芝の上空で雑草が葉を広げようモノなら、
彼らの成長の勢いは、
光合成が加わるため、さらに加速し、
雑草たちが葉を広げることによって、
その葉の陰となった芝が枯れ始めるのです。
芝には、耐陰性がありませんからね。
こうした流れの中で枯れた芝は、
ついには雑草たちの堆肥となり、
この勢力争いは、
雑草たちに軍配が上がることになります。
フラワーレメディの植物の中で、
特に耐陰性の高い種がビーチです。
耐陰性を備えたビーチは、後から森の仲間に加わっても、
陽光を必要としないため、スクスクと林床で成長します。
そのうち、既存の植物より背が高くなり、
ビーチは森の冠となって幹を広げるのです。
ビーチによって陽の光が届かなくなった、
先駆植物たちは枯れて消え、
やがてその森は、
ビーチだらけになるコトさえあります。
これが、野生の純林(単一植物による森)の仕組みです。
こうして作られる環境によって、
優位になる生物もいれば、追いやられる生物もいます。
どちらの命も、自然において平等ですので、
生態系の頂点に在って、その管理を担ったモノは、
単なる維持管理をするだけでなく、
生命への感謝を、日々携えねばなりません。
ただ、義務感だけで、雑草を引き抜いたり、
除草剤を撒いて一網打尽にしてしまっていては、
雑草たちとの調和はできないでしょう。
雑草1本ずつに、しっかりと手を掛けて、
心を込めて向き合うコトが、
生態系を担う者に、
本来求められるべきものだと感じます。
少なくとも僕は、そうでありたいです。