木星と土星

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

古典占星術の勉強をしていて、
補完する惑星同士である木星と土星が、

愛しくて、愛しくて、
仕方なくなっちゃいました(笑)

昔から、僕の独学スタイルは、
音読しながら、書き写します。

その書き写した内容を、
今日は、手を加えずシェアしますね。

愛しくなる感じ、判ってもらえるかなぁ(笑)

木星

木星は、自己よりも大きな何かとの繋がりを目的とした、成長と拡張に関係する。霊的、哲学的のみならず、物質的で目に見える豊かさや繁栄の様々な形も含まれる。水星が「低次の精神」を支配する一方で、木星はわたしたちが霊性と繋がりを持つ領域のひとつである「高次の精神」を受け持つ。強いダイアーナルな木星は、太陽と良く似た暖かさ、寛大さ、愛を放出する。木星は、ほぼ全てのことに「イエス!」と答える。限界を打ち破り、新しい領域を探求させてくれる。自分の望むものは何でも達成することができると、木星は確信させてくれる。そこには、力漲る素晴らしい感覚があるが、木星は誇張や過剰へも傾きがちとなる。そのため、ときにはルールと制限が必要になる。自由と独立は、木星にとってとても重要である。木星が切望しているのは、新しい経験と新しい情報である。肉体的、精神的、霊的にも、あらゆる種類の旅や探検を愛する。ユーモアと楽しむことの感性、さらには共感の能力にも、木星は大きく関連する。木星は、最初のソーシャルプラネットであり、土星と並んで、わたしたちが個として社会と関わる遣り方に、強い影響力を持つ。木星は、いつも全体像を把握しようとする。その全体の一部として、社会という、より大きな構造の中で、個としての役割を探求し発見しようとする。スピリチュアリズム体験に関連する惑星でもあり、そこには個としての自分と宇宙の関係性を探求すること、事物を包み込むこと、それを自らの一部にして行くことによって学んで行く。木星の、その大らかで楽観的な世界観は、宇宙の完全さへの揺るぎない信念の結果である。全ての物事は、最善で最高の在り方で、神によって導かれるという事実が、いつも木星と共にある。その素晴らしい性質や経験は、わたしたちが真に霊的で、普遍的な永遠の本性への問いに行き着かせる。そして、分離と欠如の幻は消え、幸福、喜び、豊かさの尽きぬことのない流れを経験する。個の幻影を越えて、ワンネスを思い出すために、わたしたちは成長し、進化する。しかしながら、全てのものが聖なる計画に従って、自分たちのために働くものと信じるだけでは、わたしたちは生きて行けない。現実世界での責任を避け、そこから逃避するために精神性を見出そうとするのではなく、日々の生活の中でそれを実践し、現実へ根付かせることを、わたしたちは学ばねばならない。

土星

土星は価値ある教師となる。土星の本質は、制限を与えることにある。土星は、構造(もしくは錯覚としての構造)に関連している。土星は制約と関連し、個から社会までのあらゆる形の責任と関連している。土星はカルマの支配者であり、自分が受けなければならない応報を、正確に与えてくれる絶対的な公正さを持つ。努力を認めてAをくれる教師ではなく、沢山の宿題を課し、いかなる言い訳も許さず、容赦ない採点をする教師である。土星は木星を補完する。木星はジャンプすることへの衝動を表すが、土星はジャンプするための基盤を提供する。土星が制限し縮小させることは、木星の絶え間なく拡張する性質に対する、補償とバランスになる。木星は、社会のより活力に満ちた拡張的な原理に対して、どのように応じて行くかに関連するが、土星は構造、権威的な人物、ルールに対して如何に応じて行くかに関連する。土星の課題は、わたしたちにとって学ぶことの最も困難なものであり、また習得を始めるまでに最も長い時間が掛かるものだ。土星回帰(29.5年)を経験するまでは、大人になったとみなされない。土星は、他の惑星以上に、錬金術の法則を体現している。自身の土星のエネルギーに目を向け、それを統合する遣り方を学ぶまでは、わたしたちは外の世界で、その影響を経験し続ける。自身の限界や制限を認めて行くことを学ばなければならず、自分の人生に対する責任、行動に対する責任を引き受けて行くことを学ばねばならない。そしてそれを成し得た時、わたしたちは素晴らしい自由を見出すだろう。自らを制御できるようになれば、自分以外のものに制御される心配は無くなり、何の妨げも無く、思いのまま生きることができるようになる。だが、残念なことに、長年の間、外部からの土星を経験するまで、通常はこの段階に到達することはない。土星は、わたしたちにルールと制限を課す、あらゆる権威的な人物を表している。制限を与えられる経験は、それがどんなに不愉快なものでも、自由をもたらすことになる経験である。なぜなら、境界は単に制限ということだけでなく、わたしたちの輪郭も明確にする。土星の機能の一部は、排除を通じて物事を具体化し定義付ける。何が自分らしくないかを発見する手助けとなるのだ。土星の課題は厳しいが、わたしたちにとって学ぶべき最も重要なものである。個人のレベル、集団のレベルにおいても、大人になることや責任を引き受けることとも関連している。土星を通して、わたしたちはどれが適切な振る舞いであるか、また他者が自分から期待する行動はどのようなものであるかを学ぶ。そして、宇宙はバランスを求めるものであることを、そのために受け取ったあらゆるものに対して、それに見合ったものを返して行かなければならないことを学ぶ。土星の恐れと幻影を越えて進んで行くことは、土星の最も重要で、しばしば最も困難な課題である。土星の幻影の構造物への固着と補強をやめることを学ばねば、人生は非常に困難なものになるだろう。三次元とは、土星によって敷かれたルールである。ここに存在する間、わたしたちは土星のルールに従い、この世界についてわたしたちが現実だとみなしている境界、構造、知覚の在り方を、とりあえず受け容れなければならないが、ある部分において霊的で永遠の存在でもあるわたしたちは、土星が全てについて決定的な真理を必ずしも意味しているわけではないことを思い出すだろう。土星と関わる上での最終的なゴールは、結果に執着することではなく、如何にしてゲームすべきかを学ぶことである。世界について学ぶのではなく、世界の内に存在することを学ぶのである。土星に固執せず、尊重することを学ぶにつれ、自分たちが考えていたルールの多くが、どれほどわたしたち自らが創り出した世界の在り方の基本原理となっていたかを発見することにもなるだろう。自分たちが従って生きているルールの大部分は、自らが創り出したものであることを発見する時、わたしたちは全く新しいものを創造する力を持っていることを思い出すだろう。

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