僕の暮らした町…

ひかりあめのゆうすけです。
当ブログへのご訪問、有難うございます。

Facebook上のタイムラインで、福島の映像をみつけ、
普段は、こうした動画は観ないようにしているのですが、
今朝に限っては、真剣に向き合っていました。

1989年からの10年間、
僕はこの動画の地域で暮らしていました。

映像の写る景色は、見覚えのあるモノばかりです。

原発の安全性を、完全に信じ切って、
父親の会社の社員全員と埼玉から移住し、
この地での新しい日常を楽しんでいました。

真冬に、前年収穫した米藁を使って、
大人が10人くらい入るコトのできる小屋を作り、

その中で酒を飲む、地元の習慣が好きでした。

その藁小屋は、翌朝には火が点けられ、
子供たちは、その大火で餅を焼いて食べました。

埋葬は、相変わらず土葬で、
墓に穴を掘る作業は、親族ではない他人の仕事でした。

掘りはじめる前に、感覚を麻痺させるため、
沢山のお酒を飲めと言われ、
泥酔状態で墓穴を掘りました。

夜空には、天の川を仰ぐことさえでき、
その美しさは、この世のモノとは思えませんでした。

僕と家族の暮らす家に隣立する巨木は、
夏は蛍の光でライトアップされ、
その淡い緑の光は、疲れた心身を癒してくれました。

この地を離れた12年後、
人災という名の震災が起こり、

僕の暮らした家も津波に襲われ、
僕が通った工業団地は、
冷却水を運ぶためのヘリポートと化しました。

その日、沖縄にいて、
母親の看護をしていた僕には、
何の物理的被害もありませんでしたが、

この最後の3次元人生を通じて、
縦社会の清算を誓うための、

それは重大な出来事となりました。

当たり前が、実は当たり前ではなく、
常識が、実は常識ではない、この矛盾だらけの世界を、

全生命が安心して暮らせる大調和の世界になど、
シフトさせるコトが、出来るワケは無いのでしょうか?

少なくとも僕は、出来ると信じて、
今日も生きています。

神様に頂戴した、別枠の30年間は、
きっと、これを自分の目で確認するための、

飛びっきりの奇蹟だったのだと、僕は確信しています。

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