神性と出会う…その3

地元の神社へのご訪問、ご苦労様でした。
何か、インスピレーションを感じましたか?

さて、この連載の初回で、僕はあなたに、
神としての自分を生きてみませんかと、お誘いしました。

神社で確認して頂きたかったのは、
ご神体として存在する鏡を、
あなたの眼で確認して欲しかったからです。

どこの神社もそうですが、
神社に参拝すると、社の中心に鏡がおいてあって、

祈りを捧げる人に、
その鏡は向けられています。

あなたも、それをご覧になったはずです。

そして、その良く磨かれた鏡は、
参拝するあなたの姿を、映し出していたと思います。

実は、ご神体は、鏡ではなく、
鏡に映った「あなた」です。

単に鏡がおいてあるのではなく、
あなたという、神に気付けという意味があります。

そして、鏡は「か・が・み」という音魂を持ちます。

その響きを、
じっくり味わってみて下さい。

か・が・み

か・が・み

か・が・み

真ん中の「が」を取ると、「か・み」になります。

鏡に映ったあなたから、我(が=エゴ)を取り除けば、
あなたは神になるという意味が、そこに在ります。

神として覚醒するためには、
エゴを捨てる必要があるのですが、

それでは、エゴとは何でしょう。

利己主義だとか、自分中心の考え方というだけでは、
エゴの意味を完全に理解したとは言えません。

実際、自分を大切にすることは、
神として生きる自分のために、最も大切なことです。

エゴを解り易く言うなら、分離主義です。

自分が他者とは別の存在であると、
認めてしまっていることです。

自分はこちら側にいて、
神はあちら側にいると信じることです。

この分離主義が、社会全体に定着していますから、
分離を基本原則として、
世界中のありとあらゆるものを見てしまいます。

あらゆるものがひとつであれば、
何も不足を感じるはずは無いのに、

分離してしまうため、
あちらにはあるけれど、
こちらには無いものができてしまいます。

ここで生まれる不足感が、
エゴの正体とも言えるでしょう。

道端の石ころは、掌にのせてみたところで、
勢いよく動いているとは信じ難いものです。

しかし、電子顕微鏡で覗けば、
石の中の鉱物分子の電子が、
物凄い速度で飛び回っています。

僕たちの肉眼が、
石という動かないひとつのものを、
認識しているだけで、

石という宇宙の中では、
電子たちは躍動しているのです。

それはまるで…、地球というひとつの塊の中で、
僕たちが躍動しているように…です。

神として生きるということは、
ワンネスを理解し、実践する生き方を選ぶことです。

僕たちは、大いなるひとつの存在でしかなく、
ひとつの存在の無限にある側面の
その一面が自分であることを理解し、

そのひとつの存在のために、
何ができるかを考えた時、

大いなるひとつの存在から祝福され、
多くの創造が可能になります。

ひとつの存在のために、
最高の自分なら何ができるか、

常に自分と問合せ、そして行動することが、
神としての生き方です。

自分を創造し続けることが、
神としての生き方です。

今のままでいいと誘惑される度に、
自分とは何か、それに反する証拠や
否定する状況にぶつかる度に、

自分を思い出し、再創造し続けることが、
神としての生き方です。