脱!平凡

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

同じカボチャなのに、
こんなに違うって知ってましたか?

僕たち人間も、同じで、
みな、それぞれが違って当然です。

ジャンボ宝くじの高額当選より、
はるかに確立の低い転生を、
僕たちは数十年前に果たしました。

そう、せっかく手にした人生なんです。

自分という存在をしっかり見つめ、
どこまで成長できるか、試してみましょう。

10の技量を持ちながら、
5しか使わない生き方が「平凡」と言うなら、
5で満足する生涯を「人並み」と言うなら、

「平凡」も、「人並み」も、
自分を封印するための、
暗示の言葉なのかもしれません。

少なくとも、本心と向き合わない生き方を、
正当化する言葉と言えそうです。

大体、「平凡」も、「人並み」も、
他者と自分を比較することが、
前提となった言葉です。

現世を通して追い求める幸せとは、
他者と比べて推し量るものではなく、

自分が満たされるコトによってのみ
得られるモノではないでしょうか。

ですから、「平凡」も「人並み」も、
幸せになりたい人にとっては、
本来不要な言葉なのです。

では、なぜ、
こんな言葉を使うのでしょう。

それは、自分には、
幸せになれない理由があると、
心の底で思っているからかもしれません。

自分は、複雑な事情を抱えているから、
前向きに生きるコトなど、
できるはずがないと思っているのかも。

しかし、これだけは断言できます。

事情を抱えていない人など、
この世に一人も存在しません。

事情を足枷にした生き方とは、
猫になれないコトを嘆く、犬のような生き方です。

ところが、そんな犬はいません。

でも、自分のコトとなると、
そんな単純な幻覚が、見破れなくなるのです。

幸せを求めるなら、
「脱平凡」を信条としてみませんか。