僕たちはひとつである…その9

人間に限ったことでは無いようですが、
こと人間では特に、祈りを捧げる際に手を組みます。

合掌という仕草です。

インドでは古くから、
右手は清浄、左手は不浄とされ、

右を神様、左を自分に見立て、
合掌によって自身を浄化し、神性を迎え入れようとします。

この文化を否定する気は、毛頭ありませんが、
昨日、お話しした通り、

自分という身体と、魂=神性、
そして守護するモノとの三位一体コミュニティを理解すると、

この考え方の根本には、
神様と自身に対する分離の原則が垣間見えます。

神様は畏れ多いモノ、気高いモノ、
そして自分は劣るモノ、卑しいモノという概念です。

実際、カトリック教徒は、
毎週ミサに参加しなければ、地獄に落とされると信じているそうです。

恐怖によって、神様が人々を支配する必要がどこにあるのでしょう。

5日目の話しを、思い出して下さい。
神様は、本来ひとつである僕たちが、自分自身を認識するために、
完璧な分離システムを提供しました。

しかし、その分離させるモノの別名が、
守護するモノの存在でした。

この自分という三位一体コミュニティは、
500回の転生を供にした永遠のチームですから、

それぞれを分離させたり、自分を卑下したりするということは、
とても矛盾した発想です。

ですから合掌という仕草に、
畏れの念を込めたり、自分を卑下するような念を込めることは、
宇宙や神様の求める姿ではありません。

しかし、世の中には神仏に関心を示さない人々も沢山いますが、
彼らまでが、合掌という行為を、ほぼ反射的に行います。

つまり、何等かの強力な理由が、
合掌の背景に存在するのです。

その答えのヒントは、
日本の密教の教えの中にありました。

どうやら、エネルギー循環のセルフコントロールを、
僕たちは合掌によって行っているようなのです。

教えによれば、

手のひらという身体部位において、
右手からは気が放出され、左手では気が取り込まれます。

そのため、合掌することで、
自らの気が円滑に循環するのです。

また、握手をするとき、
僕たちは右手を出し合います。

右手からは気を放出していますので、
お互いが右手を出すことで、
初対面の相手の気を取り込むことはありません。

逆に信頼するパートナーとは、
向かい合って両手を出し、
しっかり握り締めることがあります。

互いの右手が相手の左手と組み合うことで、
ふたつのエネルギーがひとつになるワケです。

また、人々が大きな輪を作って、
一人一人が、隣の人と手を繋ぎ合うことがあります。

ここでも一人の右手が、隣人の左手と繋がれ、
輪を成す人数分のエネルギーが循環し、
大きなひとつのエネルギーを作る事ができます。

ひとりの人間として、
自らのエネルギーを循環させることで、
自身を高めることを、合掌という仕草が可能にするのです。

合掌には幾つかの種類や作法が存在するようですが、
エネルギー循環という観点から言えば、
どんな形をとっても構いません。

ぜひ、自分にとって組易い流儀を開発して下さい。

遠隔治療を行う場合、
最終日には、僕が使うマントラもご紹介しますが、

その際には、治療者は合掌によって、
自らの気を高める必要があります。

また、治療を届けたい人にも、
合掌によってセルフコントロールをするよう勧めて下さい。

合掌すると、神仏にお願い事を始める人がいますが、
それだけは、絶対にしてはなりません。

治療が成功しないどころか、
宇宙や神様に見放されるからです。

6日目に、感謝の持つ力についてお話ししました。
合掌の際に行うべきことは、感謝のみです。

それしか、ありません。

合掌せずに感謝した場合に比べ、
両の手を組むことで、あなたのエネルギー循環は高まりますから、

感謝のパワーも自ずと増幅し、
三位一体コミュニティの波動も高まります。

合掌して、
万物万象に、仕事や暮らしの細部にまで、
感謝を届けることです。

感謝が反射的に行えるようになったら、
マントラを唱えながら合掌するだけで、
最良の結果が得られるでしょう。

また、合掌の際には姿勢を正し、
背骨の軸を感じながら、左右対称の身体を意識します。

ちなみに、右肩が上がっている人、
反対に左肩が上がっている人がいますが、

彼らは、カバンを下げる肩がいつも同じだからだと言い訳します。
しかし、残念ながらそうではありません。

身体エネルギーの循環がいびつだったり、
部分的に停滞すると、姿勢や骨格にまで影響するのです。

普段から、正しい姿勢を心掛けましょう。

→明日に続く