126回目のバースデー

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

今日は、僕の尊敬するエドワードの
126回目の誕生日です。

世間には、亡くなった日を偲ぶ人も多いですが、
誕生を祝う方が、僕は好きです。

彼がフラワーレメディと本格的に関わったのは、
医師でありホメオパスでもあった42歳から
永眠する50歳までの8年間でした。

彼は短命だったため、
50歳で生涯を終えましたが、

もし、80歳くらいまで活躍していたなら、
7歳の僕と出会うコトもできたかもしれません。

人生に「もし」は存在しませんので、
こんな仮定はナンセンスですが、
想像するのは、楽しいものです。

彼は1886年、英国バーミンガム近郊で誕生しました。

産業革命で有名なこの町の近くで、
彼の父親は鋳造工場を経営していたそうです。

僕が生まれた当時の、東京の下町くらい、
工場による排気ガスや排水が、
不健康な環境を作り出していた頃と推察されます。

植物や動物を愛し、
医師か牧師になりたかった彼は、

父の工場で学費を稼ぎ、医大に進みました。

工場に勤務する労働者が、
高い医療費を払えずに身体を壊す様を見た彼は、
医学を学んでも仕方がないのではと思い、

彼らに精神的な福音を届ける
牧師になるべきではないかと迷ったようです。

結局、医大を卒業して開業医となったのは、
その選択の結果を出すのは、

医療を極めてからでも、
遅くはないと思ったのでしょう。

この時の選択が間違っていれば、
フラワーレメディと出会うことも無かったでしょうが、

牧師になりたかった程の高い精神性が、
その背景にあったために、

医療の矛盾と闘い、ホメオパシーとも決別し、

高次な波動で心身を調和させる
この療法に辿り着いたのでしょう。

まさに、人生は仕組まれているとしか思えません。

彼を慕った弟子たちによって、
フラワーレメディは世界に広がりましたが、

もし彼が存命し、
自分の力でこの療法を啓蒙し成長させたなら
どんな人生だったろうと考えると、

今、僕のやっているコトが、
そのまま、当てはまる気がします。

ひかりあめの、これまでの8年間は、
まさに本療法の啓蒙と実践の日々でした。

臨床の中で、
フラワーレメディの弱点を知ったと同時に、

社会や医療の矛盾を知り、
この療法だけでは不十分であるコトも知りました。

その結果、王道を探り出すことはできましたが、
それは艱難辛苦(かんなんしんく)の道であり、
好き好んで歩む道とは、決して言えません。

薬害と闘う治療所というスタンスは、
その道の一部です。

試練の日々が、容易に想像できます。

僕の尊敬する彼にせよ、
エドガー・ケイシーにせよ、
大きく人々に貢献しましたが、

金銭や社会的地位という見返りは、
全く無かったというのが、残念なところです。

エドワードの人生の続編を、
僕の手で完結させたいという
気持ちに変わりはありませんが、

もし、可能なら、
程々に金運もある人生を歩みたいモノです。