妖精に会いたい

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

先日、カウンセリングを受診された、
小学一年生の女の子の主訴が表題の件でした。

Nちゃんは、今月末に引越しが迫っており、
転居に向けた具体的な不安を、
聞き取る最中での彼女の答えがコレだったのです。

もちろん、人生初の転校も控えているのですから、
不安も楽しみも交叉した、
複雑な心境は察することができます。

ところが、そんな彼女が
今、一番知りたいコトは、

どうして自分は、
妖精を見ることができないのか

…という疑問でした。

僕は、小学2年生のときに、
不思議な体験をしています。

学校帰りに、通学路脇の深い雑木林の中で、
大きな瞳の印象的な、
小柄な少年に出会いました。

当時の友達だったT君に似ていたので、
彼の弟だと勝手に思い込み、
僕は一緒に遊び始めたのです。

彼はランニングを着て、肌は良く焼け、
細い手足と小柄な身体が
ミスマッチな可愛さを醸し出していました。

そして無口で、何もしゃべりませんでしたが、
僕も無口な子でしたので、
何も気になりませんでした。

遊んでいる中で、僕はなぜか、

 馬に乗りたいなあ。

…と口走りました。

確かに馬は好きでしたが、乗った事はおろか、
それまで、見たことも無かったのに、

心の奥に仕舞い込んでいた何かを、
彼に見せたくなったようなのです。

すると、無口だった彼が、
はじめて口を開きました。

 いいよ、乗ろう。

次の瞬間、僕たちは、
歩く馬の上にいました。

目線が急に高くなり、
目の前に栗色の鬣が現れたのです。

それが子馬ではなく、立派な成馬だと判ったのは、

大きさもさることながら、
ゴツゴツした頼もしい背中の感触が、
まさに大人の雰囲気だったからです。

その馬は、複雑に入り組んだ木立の間を、
器用に潜り抜けながら、
雑木林の最も深い部分まで僕たちを連れて行きました。

雲の上にいるような、幸せな時間が過ぎ、
気が付くと、雑木林を抜けた先の草むらで、
うつ伏せになって、僕は眠っていたのです。

馬も、T君の弟も、見当たりませんでした。

家に帰って、このことを母親に話すと、
彼女は、その馬の持ち主に、
お礼を言いたいからと、外出の準備を始めたのです。

もう誰も、そこにいないからと力説しても、
聞く耳を持ちませんでした。

小さな子供がふたりだけで馬に乗り、
雑木林の中を小走りに歩き回った点については、

僕の説明が悪かったのか、
彼女は不思議とは思わなかったようです。

翌日、T君に、弟と遊んだと告げると、
彼は一人っ子であり、
弟も従兄弟もいないことを教えてくれました。

見ず知らずの少年と、
馬に乗って遊んだこの記憶は、

少し大人になってから、
不思議なコトだらけだと気付きましたが、

そのまま、僕の中で30年間、
大切に仕舞い込むことになりました。

40歳のとき沖縄に移住したのですが、
その直後、知り合いのオバアにこのコトを話すと、

彼女は僕に、それはブナガヤだと教えてくれました。

彼女のご主人は既に他界されていましたが、
山原では有名な、ブナガヤの専門家だったそうです。

ブナガヤは、ガジュマルの木の精霊と言われていますが、
埼玉の田舎町にも、当時は同じ仲間が暮らしていたようです。

その後、ブナガヤに関する本を何冊か読みましたが、
T君の弟に見えたその少年は、
雑木林の精霊だったとすれば、僕の記憶は矛盾しません。

土地開発や区画整理が進み、
その精霊と出会った雑木林は、
今はショッピングセンターになっています。

近い将来、自分の雑木林が無くなることを知っていた彼は、
気の合う仲間と遊びたかったのでしょう。

どうして自分は、妖精を見ることができないのか…。

この疑問を、Nちゃんに投げかけられたとき、
僕は自分のこの体験が一瞬にして蘇りました。

そして淀みなく、
答えが口から出て来ました。

 妖精は必ずいるんだけど、
 いつも目に見える存在ではなくて、

 聞こえるだけの存在だったり、
 香りだけの存在だったり、
 手に触れて感じることだけのできる存在だったりと、

 色々な方法でNちゃんの前に現れるんだ。

 だから、いつも五感を澄まして、
 植物や動物に接してごらん。

 自分を受け容れてもらえることが、
 大切にしてもらえることが判ると、
 妖精たちは必ず挨拶に来るよ。

それはまるで、大人になったT君の弟が、
僕の身体を使って
Nちゃんにアドバイスしたようでした。

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