多忙と夢中

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

いつも、多忙な方がいます。

そして、何かに、
夢中になっている人がいます。

このふたりは、
どちらも寸暇を惜しんで活動しますが、
彼らには大きな差があります。

「忙」という字は、心を亡くすと書きます。

自らの外側で起こる刺激を感覚的に処理し、
物質的な世界に翻弄され、
我を失った状態が「忙」です。

この日の記事でお話ししたことを
思い出して下さい。

僕たちは、
肉体を携えた精神でなければなりません。

ところが「忙」の状態は、
心を亡くした、精神不在の肉体と変わりありません。

彼らは、ふとした瞬間に我に返ったとき、
ある程度目標を達成していると、
はじめて安堵することができますが、

それ以外の瞬間では、
心ここに在らずの状態で奮闘しています。

そしてついには、
その忙しさを言い訳にし、

心と向き合うコトを、
拒否し始めるコトすらあります。

一方「夢中」とは、精神優位の素晴らしい状態です。

自らの内に湧き起こるモノに対して純粋に向き合い、
意識が、その実現に向けて、
全身全霊で取り組んでいる状態です。

これは、意識を司る霊性が、
主導権を握っている状態ですから、

肉体と精神が、理想的に調和しています。

ですから、多忙の人と違って、
夢中の人は、疲れを知りません。

今を去る、35年前、
僕は高校3年生でした。

担任の先生が職員室に僕を呼び出し、
将来、おまえは何になりたいんだと僕に問いました。

楽譜は読めないけれど、唄うことが好きだから、
歌手になりたいと、僕は先生に言いました。

すると先生は、
大好きなことなら仕事にするなと、
僕に忠告したのです。

その時は、意味が解りませんでしたが、
これこそが、肉体と精神の葛藤に対する答えのひとつです。

大好きなコトには、無我夢中で取り組めます。

しかし、それが仕事になった途端、
つまり、ギャランティが発生したり、
不本意な期限が生じたりすれば、

大好きだったはずのコトが、
自分の首を絞め始めるのです。

この時に陥る状態が、
「夢中」の世界から「忙」の状態への転落です。

特に若い頃は、この違いがはっきりしないため、
体験し、傷付いて、多くを学ぶのでしょう。

社会に出て30年以上経った今、
幾つかの仕事やプロジェクト、
そして何回かの挫折を経験し、

長続きできる仕事とは、
夢中になれるモノかどうかを僕は知っています。

そして、もうひとつ確かなコトは、
それはもはや、好きとか嫌いとか言う、
主観の世界では無いという事実です。

雇用関係の存在しない自営業というスタイルを選び、

安定とは無縁の生き方ではあるモノの、
自分のペースを優先できる、こうした仕事との関わり方は、

夢中の状態を維持するには、どうやら好都合のようです。

これからも、心を亡くさぬよう、
意識の高い日々を過ごしたいモノです。

そして、真の健康とは、
こうしたバランスが、自然に成り立つ状態なのでしょう。