病は気から…のメカニズム

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

薬害について真剣に学び始めてから、
自律神経と病気との関係について、
多くを知るコトになりました。

それらを踏まえて今日は、
(いにしえ)からの伝承、「病は気から」について
解き明かします。

ネガティブな感情が、どのような仕組で、
病や症状に発展するかを、
なるべく平易な表現で説明します。

実際、心配ばかりしていると、
胃が痛くなる人は多いですし、

許せない思いが腰を傷めるというのも、
良く耳にする話しです。

例えば後者の場合、
本当の原因はメンタルにあるのに、
腰痛を訴えて整形外科を受診すると、

医師はレントゲン撮影をして、
その原因を椎間板の異常などと説明し、
状態が顕著であれば、手術を勧めることもありますが、

手術をしても改善しないという話しも、
幾らでもあるモノです。

腰椎は、座仕事が大半を占める現代社会では、
正常な状態である人の方が圧倒的に少ないので、

病因を骨格異常に帰着させることは、
必ずしも正しくありません。

心の問題がまず起こり、
それが何らかの形で身体部位に対して、
痛みや痺れ等の指示を送り、

それを庇う形で生活をしているうちに、
結果として骨格異常に発展すると考えると、
辻褄が合います。

つまり現代医学は、
身体メッセージの解釈を間違えており、

結果として起こっている
例えば骨格の問題等を物理的に修正したところで、
何の解決にもならないのです。

実際の流れは、こうです。

自律神経は血流などの、
身体における不随意機能を管理しています。

例えば心臓の鼓動を、
意識の下で管理することは不可能ですから、

意識せずとも正常な動きを指示するコトが必要であり、
それを司るのが自律神経なのです。

脳がネガティブな感情を抱くと、
中枢神経のサブシステムである自律神経を介して、

標的と定めた組織への血流を制限し、
軽い酸素不足を起こさせます。

標的という表現が適切かどうか疑問ですが、
ある種の感情は、ある種の個性と関連しながら、
ある組織に影響し易いと考えて下さい。

すると、血流の不足し始めたその部位の
有効酸素量が不足し始めます。

充分な栄養を受け取れなくなったその部位が
筋肉や腱であれば、それは痛みとなり、

神経であれば、痛みや痺れ、
違和感や力の入らない状態となるのです。

これが症状という形での、人体の最初の表現ですが、
多くの人がこの身体メッセージを
軽視してしまうのです。

気が付けば、酸欠が進み、
症状が深刻化し、

そのうち、問題を起こした当人にとっても、
メンタルからの訴えは二の次となり、
症状にばかり目が向くようになってしまいます。

これが現代医学における統計情報と合致すれば、
晴れて病名が付くコトになり、

合致しなければ、
原因不明のストレス性疾患として
処理されるだけのことです。

何らかの違和感を身体に感じたなら、
この仕組みを思い出して下さい。

それは、あなたの抱いたネガティブな感情が、
もしくは、古くから抱いて手放せない潜在意識側の感情が、

その部位に対して意図的な酸欠を、
企てはじめた兆候です。

ですから、病や症状を手放して
健康や幸せを手にするためには、

例え、どんな自分であっても、
自分の人生を受容し、
自身を愛するワークが必要なのです。

そのワークとは、
別の名を瞑想と言います。

瞑想については、
こちらの連載を参考にして下さい。

瞑想を身につける…その6

瞑想中に浮かんだ思いを手放せなくなるケースの
解決手段をお話しする前に、

思考が止まらない人のタイプを知る必要があります。

色々なパターンはありますが、
大別するなら、それは真面目な人頑固な人でしょう。

彼らは熟考する日常を選んでいるので、
それはそれは、良く考えるのです。

しかし実は、
こういうタイプだから思考が止まらないのではなく、
考えている内容に問題があります。

昔から、

自分の人生に責任を持つ

…という言葉がありますが、
あなたは、これをどんな風に捉えていますか?

思考を止めるための重要なヒントが、
このワンフレーズに隠されています。

考え事のテーマとなっている内容が、
自分に責任があるかどうかが問題なのです。

例えば、仕事がうまくいかないことを、
上司や同僚のせいにする人がいます。

彼らが○○だから、自分の人生はうまくいかないんだ…

このような類の文句を、言う人々です。
人間関係のストレスというジャンルですね。

自分の人生に責任を持っている人は、
失敗を自分の成長不足と受け止め、

その失敗を成功への糧にとして、
最終的に解決への道を切り拓くことができます。

何もかも、自分のせいだからです。
自分のせいという意味は、自責とは違います。

万事を、自分の成長課題と捉えた生き方が、
できるかということです。

そのため、どんなに大きな問題でも、
自分次第で解決することができるのです。

ところが、問題を他人のせいにしてしまった途端に、
それは自分のせいではないという、強烈な自己暗示となり、
もう自分では解決できなくなってしまいます。

だって、他人の問題なのですから…。

ですから、考えても、考えても、解決しません。
自分のせいであれば、解決の糸口は見つかりますが、

他人のせいですから、もうどうしようもなくなり、
結局、瞑想どころではなくなるのです。

今回のブログツアーは、
瞑想を手に入れるための企画でしたが、

自分の人生に責任を持つ生き方へのシフトも、
充実した日々を送るための、
重要な課題となるということが解って頂けたでしょうか。

ですから、これまで問題を他人のせいにして来た方は、
これを機会に自分のせいにしてみて下さい。

そんなコト、できっこないと思いますか?

そう言うのは簡単ですが、
ここにもまた強烈な、「できっこない」という自己暗示が、
含まれていることに気付いて下さい。

そして、騙されたと思って、次のコトを実行してみて下さい。
案外、簡単にシフトできます。

思考に捉われている人は、その問題と同じ目線になり、
まるで、犬の喧嘩に加わっている状態になります。

犬の喧嘩は、人間には止められませんから、
人間の目線まで、自分を引き上げるコトがコツです。

つまり、問題に直面したら、一歩引き下がって、
その状態を客観的に捉えて欲しいのです。

そして、もし自分が十分に成長した人間だったら、
この場をどう処理するか考えるのです。

今はできないかもしれないけれど、
自分が成長さえすれば必ず凌げる問題しか、
神様は僕たちに授けません。

この思考の方向転換によって、
あなたの思考に隙間が生まれ、
そこに、意識の光が輝くことでしょう。

思考を制御できれば、
いつでも瞑想を通じて、「無」の境地に辿り着くことが可能となり、
魂からのメッセージを、聞き逃すことはなくなります。

この6日間の連載を振り返って、
丁寧に実践してみて下さい

そう遠くない日に、きっと、
瞑想はあなたのモノになるはずです。

瞑想を身につける…その5

それでは、
思考を止めるための具体的な方法を学んで参りましょう。

さっそくですが、
こんな経験はありませんか?

今まで、見たことも聞いたこともない、突飛なものに出会うと、
脳を持つ動物は、多かれ少なかれ同じ反応をするものです。

呆気に取られる…という状態です。

この瞬間、思考は止まっています。

暫くすると、関連する記憶から似ているモノを探し始めますが、
少なくとも数秒間は、考えることができなくなるのです。

この生態反応を利用することで、
僕たちは簡単に瞑想の世界へ入って行くことができます。

僕のお勧めする瞑想のやり方は、
この呆気に取られた動物の反応をうまく利用したものであり、
巷の瞑想会の流儀とは、大きく異なるかもしれませんが、

この際、瞑想を成功させるという目的を重んじて、
常識的な発想は、拭い去ってみて下さい。

まず、瞑想に向き合おうとした場合、
姿勢や呼吸についての前置きが、案外多いものです。

遠隔治療において、
自分という三位一体コミュニティを確立させたり、

宇宙の至高の力を受け取ったりする場合には、
バランスの良い姿勢が必須となりますが、

瞑想に限定した場合、
それはどうでも構いません。

楽な格好をして下さい。
楽な呼吸をして下さい。

普段、慣れていない格好や呼吸をすれば、
それだけ、「無」になれる可能性が低くなります。

慣れていないので、慣れようとするために、
適応のための思考が働くからです。

ちなみに、
サトルエナジーアセスメントにおけるセンタリング状態には、
歩きながらでも到達することができます。

瞑想状態は、センタリングと比較しても、その導入でしかありませんので、
どれだけ入り易いか、解って頂けるでしょう。

そして僕の瞑想では、特に前半は目を閉じません。
後半は、その方が楽なら目を閉じますが、
前半では、視覚を積極的に利用して思考を止めます。

ハガキサイズの小さな紙を用意し、
そこに、利き手では無い方の手を使って、
サインペンで、無意味な図形を描いて下さい。

あなたが選んだ姿勢の状態で、
楽な視線の先に、その紙を良く見えるように固定します。

一旦目を閉じ、
深呼吸をしたら、

ゆっくりと目を開けて、その図形を見ます。
無意味な図形全体を、ボンヤリと見て下さい。

凝視してはいけません。
何となく見るのです。

僕の場合は、ホワイトセージの葉を一枚用意し、
素焼きの皿の上で、木製ピンチに葉柄を挟んで火を点け、

立ち上る煙の織り成すランダムな図形を、ボンヤリ見つめます。

呆気に取られた状態を、自分から作り出すのです。

普段の生活では、呆気に取られた動物は、
意識を取り戻すために、思考を再開させようと躍起になりますが、

この思考再開のための行動は顕在的反応なので、
その気になれば止めることができます。

その反対となる潜在的反応の場合、意識下に無い行動を伴うため、
自分の意志で止めることはできませんが、

顕在的反応であれば、自己抑止が可能です。

つまり、呆気に取られた状態に、
浸り続けることができるということです。

ボンヤリ見つめることで、思考が止まったら、
瞑想の前半は完了です。

そのままの状態を楽しむために、
ここから先は目を閉じても構いません。

楽な呼吸をしながら、
思考の止まった状態を味わって下さい。

このとき、何かしら思いが浮かぶこともあるでしょう。
その場合は、その考えを追いかけないようにします。
追いかけなければ、思いは消えます。

この状態で数分間経過すると、
眠気が襲ってきます。

身体がリラックスし、脳が止まろうとしているからです。

はじめのうちは、このまま寝てしまっても構いません。

入眠できる状態に到達したということは、
「無」を体感したことでもあるからです。

思考の止まった状態を、楽な姿勢、楽な呼吸で維持していると、
やがて胸骨の辺りに暖かさを感じるでしょう。

心臓の脳と言われる場所が、反応しているのです。
この状態が、「無」への到達を告げるサインです。

ここまでの全体を通じて、せいぜい5分~10分というところでしょう。

ここで瞑想を終えても構いませんし、
時間が許すのであれば、その状態を楽しんで下さい。

魂からのメッセージが届くかもしれないからです。

魂からの伝言は、「言葉」とは限りません。
五感に分散して、提供されると思って下さい。

五感を通じて、第六感に伝わり、第三の目で感じるのです。

最近、僕は瞑想の中で、
英語でメッセージを受け取りました。

Twenty Ninetyfour

…と、はっきり2回聞こえました。

この時は、視覚情報や匂いのようなモノも僅かに感じましたが、
主たる情報は、この英語のワンフレーズでした。

「20」、「94」という数字に何の意味があるか、
今の時点では不明です。

2094年に、何かあるのかもしれませんが、
その頃の僕は134歳です。

このようにして、瞑想を楽しむ習慣をつけると、
生活に余裕が生まれ、リラックスできるようになり、
ストレスを感じ難くなります。

ご存知の通り、ストレスは緊張が作り出す幻ですが、
緊張すればする程、新たなストレスを感じ易くなってしまいます。

悪循環というヤツです。

ですから、日々リラックスを体感することが、
魂とのコミュニケーションにおいても、
使命をまっとうするという点においても、

その前に健康を維持するという点においても、
必要だと言うことが、良く解るはずです。

ところで、

瞑想中に浮かんだ思いを、手放せなくなることもあるでしょう。
この解決方法を、明日お伝えします。

明後日からリフレッシュ休業となり、
このブログも3連休ですので、

明日の連載で、瞑想ツアーが最終回となるようにいたします。

→明日に続く

瞑想を身につける…その4

昨日までの3日間で、
瞑想に対する考え方が、
これまでより、現実的になったのではないでしょうか。

現実的という言葉の響きは、
このシチュエーションに適していないかもしれませんが、

聖人たちにしか到達できない「無」の境地を、
僕たちの手元に引き寄せることができたという点では、
間違いなく現実的だと思うのです。

昨日は特に、その「無」について具体的に考えました。

要約するなら、
「無」になることは、

自分が主導権を握って、
自身を内観する等の行動を起こすのではなく、

ただ単に、魂の声を傾聴できる自分になることです。

ひかりあめで毎月行っている「心と身体の健康教室」では、
なぜ、僕たちは魂とコミュニケーションできないのかということを、
図に描いて説明しています。

それは、物理的身体と魂との間にある、
感情や心というエネルギー体が、
平安な状態を保てないことが原因です。

ネガティブな感情を、セカンドナインティーンによって鎮め、
心の癖を、セブンヘルパーズによって穏やかにすることで、

フラワーレメディ治療の完成期に辿り着いた人々は、
魂とのやりとりが、生活の随所で可能になることがあります。

同じように、瞑想によって、
これらの感情や心というエネルギー体に平安をもたらせば、

魂からのメッセージを受け取る準備が可能となります。
そして、これこそが「無」の状態です。

フラワーレメディのような、
感情や心という類の微細身体に直接作用する療法を利用せずとも、

魂とのコミュニケーションを遮断するこれらに
一時的かもしれませんが、平安を届けることはできます。

感情や心を掻き乱す、その理由を知れば良いのです。

感情が鎮まらないのは、思考が止まらないからであり、
心が穏やかになれないのは、感謝が足りないからなのです。

つまり、瞑想への第一歩は、
思考を止めることに、他なりません。

ですから今日は、思考が止まったときに起こる、
ある出来事に着目したいと思います。

実は、多くの人がこの状態を既に体験しています。

それが、まさか「無」への切り札だと、
思わなかっただけのコトだったのです。

愛する人や、可愛いペットを、
抱き締めたときのことを思い出して下さい。

毎回では無いかもしれませんが、
まるで、時間が止まったような感覚を覚えたはずです。

そうです。

その時あなたは、「無」の境地に一瞬にして辿りつき、
時空という幻を支配したのです。

つまりこの状態は、
愛のエネルギーの中で「無」の境地に達した瞬間であり、
瞑想の目指すものと、ほぼ同じです。

「僕たちはひとつである」の第4話中で説明しましたが、
時間や空間は、人間が勝手に取り決めたモノであり、
絶対的な普遍のモノではありません。

そう思い込んでいるだけであり、
今日の例のように、時間は止まったり、
逆に矢のように過ぎて行くことも起こります。

つまり、僕たちの思いのままなのです。

少なくとも、完全に「無」を感じているときには、
時間や空間は意味を失います。

現時点では、
完全に「無」を感じることはできないかもしれませんが、

あなたは、既に思考の止まった時間を経験しているという事実を、
しっかり噛み締めて下さい。

そして、あなたも聖人も、何も変わらないということを、
自分に対して証明して欲しいのです。

瞑想を身につけるということは、
言い換えるなら、その状態を自分から作り出し、
そこに浸れば良い、ただそれだけのことなのです。

僕は、この連載の第1話で、
~瞑想は眠ることだと考えて欲しい~と言いました。

実は睡眠に入る前のあなたも、時空を支配しています。

「気が付いたら朝だった」という熟睡の状態は、
確かに脳が眠っていたから、時間の記憶が無いのでしょう。

しかし、入眠する寸前の朦朧とした状態は、
単に意識が混濁しているだけなのでしょうか。

思考が止まり、あなたのエネルギーがリラックスしたことで、
脳が眠ってもいいのだと判断したとき、

取り決めの時空から解放されたあなたは、
あなただけの特別な時空で、高次の自己と出会っているのです。

今日の例にせよ、この入眠前の状態にせよ、
思考が止まれば、僕たちは時空を支配することができます。

どんなに心配性の人であろうと、
入眠時には、思考が止まっているのです。

脳が心配に疲れて、
もう考えられなくなっただけかもしれませんが、

どちらにしても、思考を止めることが、
瞑想を身につけるための、最も大きな課題となりそうだということが、
解って頂けたでしょう。

明日は、具体的な思考の止め方について説明します。

とても簡単な方法で、
そのやっかいな思考は、ウソのように止まってしまいます。

→明日に続く

瞑想を身につける…その3

世のマスターたちは、
「無」の境地を体感するため、瞑想に取り組みました。

ですから、瞑想をしたことのある方々に、
瞑想の目指す「無」について改めて問うと、
殆ど、同じような答えが返ってきます。

自らの深部を内観し、自身の本質と出会うことだ。

使われる単語が少々違うかもしれませんが、
大義は同じではないでしょうか。

きっと、この答えは、
「無」を体感した世のマスターたちが言ったもので、

彼らに習って瞑想に取り組んだ人々も、
そうあるべきだと感じているのです。

ですから、瞑想をしながら、
「無」にならなければ…と考え、
自分とは何か…を問い質し、

自問という形の、思考をすることになってしまうのです。

しかし、思考している以上「無」ではありませんから、
これは瞑想ではないのです。

結局、どんなに長時間取り組もうが、
瞑想のふりでしかない時間を過ごすことになります。

僕はフラワーレメディストですが、
拙著「本気で☆フラワーレメディ」でも言及しているとおり、

本療法には、
3つの治療ステップが存在します。

治療期安定期完成期の3つです。

セカンドナインティーンを中心とした治療期は、
何かの事件や事故をきっかけに握り締めている、
不要な感情を取り払い、

セブンヘルパーズを中心とした安定期は、
生活習慣の中で身に付いた心の癖を正し、

トゥエルブヒーラーズを中心とした完成期は、
自らの本質を磨き上げ、
今世に授かった使命を知り、まっとうする…、

という流れのモノです。

僕の中では、これらの概念が、
自らの体験によって、幸運にも確立するきっかけを得たため、

サトルエナジーアセスメントにおける
センタリングに辿り着くことも、

ことさら、難しいコトではありませんでした。

注目すべきは、この3つ目のステップである完成期の状態です。
再読してみて下さい。
瞑想の目指す「無」のもたらすモノと、それは同じです。

しかし、完成期とは状態のことであり、
瞑想のように、一定の時間のワークではありません。

完成期に辿り着いた人々が、いつも瞑想状態なのかというと、
そんなことは在り得ず、
彼らは普通の生活もしているのです。

そしてもちろん、

「無」にならなければ…と考えることも無ければ、
自分とは何か…を問い質すこともありません。

ですが要所要所で、自らの魂と問合せ、
正しい道を歩み続けることができるのです。

つまり、

瞑想の目指す「無」の状態とは、
その状態に達することであって、

改めて何かを考えたり、
見つけたりするコトでは無いのです。

→明日に続く

瞑想を身につける…その2

今日から、瞑想を身につけるための
具体的なワークをはじめて参ります。

昨日、このツアーの出発前に、
思考を止めるためのヒントを探して欲しいと、僕は提案しました。

抱えている大小色とりどりの不安が、
あなたの思考を占領しているということに、
気付かれたと思います。

不安を愛に変える方法については、
以前のブログ記事で説明していますが、

今日は、不安を抱え難くするために、
ご自身の棚卸をして頂こうと思います。

そうです。
棚卸です。

不安を抱えてしまう第一の原因は、
自分に対する肯定感の不足によるものです。

もちろんこれは、僕が随所でお話ししている、
自分に対する感謝不足と大きく関係しています。

感謝のツールをうまく使って、
不安を愛に変えることは可能ですが、

こんなテクニックとは別に、

あなたの素晴らしさを棚卸してみることで、
興味深い身体反応が起こることを、今日は体感して欲しのです。

今から紹介するワークは、
以前、ひかりあめの店舗で行っていた、
通学制のファーマシィ&エナジーワーク(現プリパレイションズ)で、

瞑想がうまくいかない受講生のために始めたものです。

紙と鉛筆と、一人になれる場所を探します。

どんなに長くても、5分間を目処に、
自分の長所を5つ、用意した紙に書き出してください。

時間が制限されているのは、
考え過ぎると、多くの人は長所を否定しはじめるからです。

長所と聞くと大げさに考える人もいますが、
短所で無ければ良いのです。

無理矢理な発想だと思いますか?
ですが、長所と短所は対義語です。

短所の反対が長所なら、
短所で無ければ長所のはずです。

例えば、五体満足だ、仕事がある、まだまだ若い、
大好きな人がいる、車が運転できる、…のようなコトで構いません。

実際、瞑想が定着してくると、
当たり前のことに感謝が届くようになりますので、
ある意味、これはその練習とも言えます。

5つ書き出したら、それらをひとつひとつじっくり噛み締め、
最後にもう一度、ゆっくりと読み上げ、
そして、目を閉じて下さい。

ニヤニヤしながらやると、うまくいきます。

人間は、
自分の良い部分に目を向けると、
自動的に自信と確信が湧き起こるものです。

実際、このワークを真剣に行ってみると解りますが、

お臍と胸骨の中間あたりに、
暖かいモノを感じます。

それが、自信や確信の正体です。

自己肯定感が足りない人にとって、
きっとそれは、物凄く懐かしい感覚でしょう。

小さい頃には、いつも携えていたのに、
いつの間にか、身体の奥深くに仕舞い込んでいたのですから。

この感覚を無心で感じることも、瞑想に繋がりますが、

今日は、自分の長所の棚卸によって、
自信と確信を覚醒させ、

不安を払拭させる練習をして欲しいのです。

明後日となる次回は、
瞑想の目指す、「無」について考えてみましょう。

→明後日に続く

瞑想を身につける…その1

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

先月中旬から14回連載した、遠隔治療に関する記事内でも、
瞑想の効用についてお話ししています。

さらには、
サトルエナジーアセスメントという手技に必要な、
センタリングについても、軽く触れました。

そして瞑想とセンタリングの違いについても言及しましたが、
文字情報だけでは、感覚的な具体性が乏しく、

理屈は解るが、どうしていいか解らないというのが、
本音かもしれません。

そこで、幾つかのステップを辿りながら、
まずは瞑想を完成させるための、ブログツアーを企画しました。

瞑想がうまくいくようになると、
自分という三位一体コミュニティの結束が強くなります。

これによって、自身を守護する存在との関係が密になれば、
宇宙から降り注ぐ至高の光を、
十分に授かることができるようになります。

健康とは、良好なエネルギー循環状態ですが、
自分の中だけの閉じた有限循環では、水と同じで腐ってしまいます。

目指すべきエネルギー循環は、
もっと壮大な、宇宙規模のモノです。

人間の力は、本来無限であると語った過去の偉人たちは、
この理屈を知っていたのです。

つまり、フレッシュな宇宙エネルギーを、
自らを守護する存在を通じて常に授かり、

その力を費やして自己表現をし続け、

それらの成果が感謝や喜びの波動を産み、
宇宙に帰ってゆくという、とてつもなく大きな循環です。

自分という三位一体コミュニティが確立されているかどうかで、
これだけの違いが生まれるのです。

とはいうものの、
瞑想は苦手という人も多いはずです。

瞑想会などに参加して、誰かと一緒に取り組んでも、

目を瞑って、何も考えていないフリをしながら、
色々と考えを巡らしてしまっているというのが実情でしょう。

際限なく考えることを得意とする人間にとって、
無の境地を要求すること自体に無理があるのです。

だからこそ、
コツを知らなければ瞑想はできません。

瞑想がうまくできないということは、
ある意味、人間らしいということですので、
今日の時点では、安心して頂いて構いません。

ブログツアーに出発する前に、
一点だけクリアにしておきましょう。

人間はなぜ、
考える作業を止めることができないのかということです。

これらを哲学的に解決する取り組みは、
大昔から何度も何度も行われてきました。

概念的なことは、何とでも言えるからです。

僕の尊敬するエックハルト・トールも、

絶え間なく流れる思考に隙間をつくるたび、意識の光が輝き出し、
そのうち、子供のたわいな悪戯に、思わず笑みがこぼれるのを同じように、
頭の声を笑ってやり過ごせる日がくるでしょう

と言っています。

素晴らしい言葉ですが、
実際のところ、どうして良いか解りません。

僕の提案はこうです。

あなたの、その止まらない考えの源を知ることで、
思考を止めるためのヒントを探して欲しいのです。

これが、ツアーに出る前の最初のワークです。

いきなり答えをお教えしましょう。

ヒトコトで言うなら、あなたは不安なのです。
だから、ゆとりが無いのです
結果として、リラックスできないのです。

思考が止まってリラックスすると、人間は眠くなります。

ですから、瞑想を難しく考える必要はありません。
瞑想とは眠ることだと考えて下さい。

少しは、瞑想への敷居が低くなったのではありませんか?

不安への対処の仕方については、
1月9日から4日間連載した「愛と不安」を参考にして下さいね。

不安を愛に変えることで、瞑想の質も自ずと上がります。

それでは、早速明日から、
瞑想を成功させるための旅に出かけましょう。

→明日に続く