歩くというコト

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

先週の火曜日から、
わが家の愛車である緑のデミオ君が、
板金塗装工事のため入院しています。

その間の代車として、
黒いメタリックのデミオをお借りしたのですが、
その車内の煙草臭さが尋常ではありません。

乗車して数回呼吸しただけで、
減食で好転していた頭皮乾癬が、
一気に悪化した程でした。

何かあったときのために、
駐車場で待機してくれていますが、

可能なら乗りたくないため、
買い出しを極力減らす生活が、
この一週間続いています。

しかし、いくら減食はしても、
食材は底をつきますから、
数日に一度は買い物に出ねばなりません。

そんなワケで、昨日は二回目の買い出しに、
徒歩で出掛けるコトになりました。

向かう場所は、わが家から3キロ離れた、
宜野湾市普天間にある小さなスーパーマーケットです。

同村の島袋にもあるのですが、
普天間の方が近く、道もなだらかなため、
こちらを利用するコトにしました。

往路は40分、買い物に10分、
帰路は荷物が重いため50分掛かります。

前回は仕事を終えてから向かったので、
真っ暗な夜道を歩くコトになりましたが、

今回は朝9時前に出発したので、
少々肌寒くはありましたが、
見晴らしの良い道のりでした。

普段は、車での買い出しが当たり前でしたので、
こうした体験は、車への感謝が湧くと同時に、

歩くというコト自体が、
昨今ではレジャーやスポーツでしかありませんが、

かつては、立派な仕事であったことを、
思い出させてくれます。

沖縄本島南部には、垣花樋川という水場があり、
かつては、そこの急な斜面を上り下りせねば、
生活用水を確保できませんでした。

手摺もなく、舗装もされていませんから、
重い水甕を携えての水の確保は、
想像を絶する家事だったコトでしょう。

筋力もエネルギーも必須だったでしょうから、
肥満とは無縁の世界だったはずです。

少々長い引用になりますが、
日月神示の中から、
冬の巻補帖をご紹介します。

ぜひ、ご一読下さい。

病、ひらくことも、運、ひらくことも、
皆 己からぢゃ、と申してあろう。

誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。
悪くなるということないのぢゃ。迷いが迷い生むぞ。
もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。
神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。
この道理よくわきまえよ。

毎日毎日、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。
その日の仕事、与えられるぞ。
仕事いのちと仕えまつれよ。
朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。
不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。
神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。

食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。
口から出るもの、入るもの気つけよ。戦起るのぢゃ。
人間の病や、戦ばかりでない、国は国の、世界は世界の、
山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。
食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。

一椀をとって先づ神に供えよ。
親に捧げよ。子に捧げよ。
腹八分の二分は捧げよ。

食物こそは神から、親から与えられたものであるぞ。
神に捧げずにむさぶるからメグリ積むのぢゃ。
メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。
運ひらくのも食物慎めばよい。
言慎めばよい。

腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。
このわかりきったこと、何故にわからんのぢゃ。

捧げるからこそ頂けるのぢゃ。
頂けたら捧げると今の人民申しているが、
それが裏腹と申すもの。

衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。
預けられているのであるぞ。
人民に与えられているものは食物だけぢゃ。
日の恵み、月の恵み、地の恵みだけぢゃぞ。
その食物節してこそ、捧げてこそ、
運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。

人民ひぼしにはならん。心配無用。
食物、今の半分で足りると申してあろうが。
遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。
運ひらけ、病治って嬉し嬉しと輝くぞ。

そんなことくらいで、
病治ったり、運ひらけるくらいなら、
人民はこんなに苦しまんと申すが、
それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。
低い学に囚われた盲、聾と申すものぞ。

理屈捨てよ。捨ててやって見なされ。
みなみな気つかん道、気つかん病になっているぞ。

憑きものがたらふく食べていることに気づかんのか。
食物節すれば憑きもの改心するぞ。

先づ百日を目当てに、百日過ぎたら一年を、
三年続けたら開運間違いなし。
病もなくなって嬉し嬉しとなるぞ。
三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。

六月九日、ひつくの神。

歩くコトにせよ、食べるコトにせよ、
僕たち現代人は、大きな間違い中にいるようです。

周囲全てが間違っているため、
自分の間違いにさえ、気付けないのです。

気付きましょう。
そして、正しましょう。

そして、嬉し嬉しと輝きましょう。

減食の効能

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

日月神示に倣い、
出汁を含む魚までの摂取を絶った
完全菜食になるのと同時に、

食事の量を、これまでの半分以下に
減らす生活をはじめて
今週で5週間目を迎えます。

この食生活に身体が慣れ、
胃袋も随分小さくなった気がします。

確かに、空腹を感じる時間が長くなりましたが、
すぐに何かを食べたいという欲求には発展せず、

それまで消化に費やしていたエネルギーを、
違う形で発揮できている感覚を
楽しめるようになりました。

もちろん、そんな時、
濃縮発酵酵母エキスを摂取すると、
その効果も、しっかり感じ取るコトができます。

減食をはじめて、僅か1週間で、
乾癬の症状は殆ど無くなり、

4週目からは、体脂肪の減少も確認し、
健康上の変化にも劇的なモノがありますが、

一番驚いているのは、
オステオパシー施術時の治療脈の感じ方です。

これは予想していなかっただけに、
仕事に役立つ、最も嬉しい変化かもしれません。

菜食者は血が綺麗なため、
治療脈を感じ易いというのは、

この手技を学び始めた当初から
実感していましたが、

減食をしたことによって、
治療脈以外のもう一つのリズムまで、
解るようになりました。

それは、患者さんに指先が触れる直前の、
体表5ミリ辺りから感じるモノです。

サトルエナジー・アセスメントで、
掌が拾っていた感覚は、
体表5センチ辺りにあるエーテル体でしたが、

最近の僕の指先が拾っているそれは、
物理的身体とエーテル層との接合部分にある
皮膚の毛穴から吹き出している生命力のようなモノです。

これは、治療の流れを誘導してくれる力であり、
次に何をすれば良いかを、教えてくれます。

おそらく、患者さんの自然治癒力が、
施術者をナビゲーションしているのでしょう。

また、頭蓋骨治療において最も難しいのは、
蝶形骨の動きを感じ取ることですが、

減食をはじめて3週間目くらいから、
患者さんに触れた瞬間から解るようになりました。

また、治療脈についても、
脳脊髄液の流れる様子が、
よりリアルに解るようになりました。

オステオパシーを施術していない時でも、
常に指先の感覚がアクティブになっており、

例えば、こうしてブログを綴っているとき、
パソコンのキーボードに触れる際にも、
指先がピリピリと、何かを拾おうとしています。

もちろん、食べ過ぎていませんから、
食後に眠気に襲われることもありませんので、

常に良い状態で仕事に取り組めます。

日月神示の中では、
神様のお役に立つ身魂の持ち主になるためには、
人の5倍、10倍の仕事をせよとありますが、

このコンディションなら、
それも可能かもしれません。

減食は、苦しいどころか、
楽しみの増える生活スタイルのようです。

魚を絶つ

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

僕は、これまでの数年間、
肉、卵、乳製品の摂取を一切せずに、
暮らしてきました。

そして、先週の木曜日から、
意を決して魚も絶つことに決めました。

これまでも、魚を食べたとしても、
週に一回程度でしたし、

スープや出汁として使われている動物性素材については、
積極的には食べないまでも、
出して頂いたモノは、頂く姿勢でいました。

しかし今回は、出汁を含めた全てを絶ち、
ついでに添加物や保存料の摂取も、
可能な限り控えるようにしています。

例えるなら、これまでは
温ソバを頂くことはできましたが、

これからは、ソバは食べることができますが、
鰹出汁の掛かったソバは頂きません。

ちなみに、昼食にソバを食すコトは多いのですが、
最近は、昆布を漬け込んだ醤油だけで出汁を作ります。

初めのうちは、物足りなさを感じましたが、
慣れて来ると、そのスッキリとした味に
舌が喜ぶのが解ります。

この完全菜食へのシフトは、
健康管理のためではありません。

日月神示を学べば解りますが、
この先訪れる三千世界の大洗濯の際、

神様が足場とされる場所が、
この現世に必要となります。

その足場となる身体は、
血が穢れていては使い物になりません。

あと、魚を絶つだけで、
神様のお役に立てるのなら、

そして大難を、少しでも小難に変えるための、
微力になれるのならばと思い、
この身体を清めることにしました。

臣民にわかる様にいうなれば、
身も心も神のものざから、
毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、

それでその身体を
どんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、
夜になれば眠ったときはお返ししてゐるのざと思へ、
それでよく分かるであろうが。

身魂みがくと申すことは、
神の入れものとして神からお預りしてゐる、
神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ。

富士の巻第十四帖

その後、たった一週間しか経っていませんが、
乾癬の症状が、極端に静まり出したのです。

これは期待していなかったことです。

確かに乾癬の「癬」という字を見れば、
魚との相性は悪そうな病気ですが、
ここまで顕著に変わるとは思いませんでした。

特に症状の酷かった頭皮が、
爽やかなエネルギーを発しているのが良く解ります。

そして、次のチャレンジは「減食」です。

食物節してこそ、ささげてこそ、
運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。
食物、今の半分で足りると申してあらうが。

遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。
運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。

そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、
人民はこんなに苦しまんと申すが、
それが理窟と申すもの。

理窟悪と申してあるもの。
低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。

冬の巻捕帖

元々、大食いではありませんが、
以前出会ったこちらの本で、
減食には興味がありました。

ルネサンス期の人でありながら、
102歳を生きたルイジ・コルナロの本です。

この本と、日月神示のエッセンスが
僕の中で何かを言っているのです。

運も開けるそうですので、
迷いはありません。

乾癬患者には辛いお正月

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

明けまして
おめでとうございます。

例年に無く良い体調で
今回の年末年始に突入しましたが、

残念ながら乾癬だけが
著しく悪化してしまいました。

食べ物のせいです。

もちろん、動物性食品は避け、
ベジタリアンとしての食生活を守りましたし、
乾癬に大敵の揚げ物も避けましたが、

症状を悪化させるコトになったのは、
どうやら、食品添加物のせいだったようです。

わが家の正月料理には、
その類は一切ありませんでしたが、

正月恒例の親戚まわりの席で、
頂戴した料理がいけませんでした。

内地では、おせち料理を肴に屠蘇を頂戴する
軽い食事スタイルが多いですが、

沖縄では、しっかり一食を頂きます。

そのため、沢山の訪問客のある家庭では、
市販の惣菜の盛り合わせが
活躍することになりますが、

どうしても、これは添加物の宝庫となります。

いくつか頂戴した料理の中で、
今回一番驚いたのは、
ブロッコリーを煮た一品でした。

一見して、鮮やか過ぎる緑が
気にはなったのですが、

口に入れてみると、
その気色の悪い塩加減に、寒気すらしました。

化学調味料と保存料の味です。

以前は、ここまで添加物に
反応しませんでしたので、
今回の反応には、自分でも驚きました。

そんなワケで、
乾癬患者には辛いお正月と
なってしまったのです。

食生活を改善すると、身体は水晶化します。

これによって、光をはじめとする自然エネルギーを、
しっかり受け止める体質になりますが、

こうした添加物などによる
一時的なダメージも大きくなります。

正月の明ける今日から、
排毒を心掛けたいと思います。

この日の記事を参考に、
皆さんもしっかり、デトックスして下さいね。

乾癬に関する追記

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

今年4月の連載投稿への追記です。

乾癬患者の腸壁には薄い部分があって、
食品に含まれる微細な毒素に反応する点を、
当時の投稿に記していますが、

その代表的なモノとして、
ナス科の野菜を紹介しました。

ナス、トマト、ジャガイモ、
ピーマン、唐辛子等です。

その後の学びの中で、これら以外にも、
天然毒素を含む野菜について、知るコトができましたので、
今日、この場で皆さんにシェアいたします。

バジル、タラゴン、アルファルファ、セロリ、
ピーナッツ、マッシュルームです。

タラゴンは、生食の多い香味野菜で、
沖縄では殆ど見かけません。

マッシュルームについては、
キノコ全般という意味ではなく、

ホワイトボタンと言われる
白いマッシュルームが対象だそうです。

ベジタリアンにとって、
これらの制限は、なかなか辛いです。

特にバジルやセロリは大好きでしたので、
この事実はショックでした。

食材は、他にも沢山ありますので、
今後は、そちらに目を向けるようにします。

もちろん、健常者の方は、
どんどん食べて頂いて構いません。

乾癬等の皮膚炎をお持ちの方や、
食品との相性が肌に出易い方は、
参考にして下さい。

乾癬との生活…その4

エドガー・ケイシーの食事療法を遵守して、
一ヶ月以上が経過しました。

食養生の他にも、彼は様々な提案をしています。

禁酒、禁煙にはじまり、
浣腸や洗腸、スチームバスなどによる体内浄化、
オステオパシーによる脊椎の調整、

オリーブオイルやピーナッツオイル外用による
損傷した表皮細胞の治癒促進などがそうです。

そしてさらに、
メンタルの改善も含まれています。

前回話題に取り上げた、3ヶ月で完治した症例では、
これらの全てに取り組んでいましたので、
僕もそうすべきでしょう。

ですが、浣腸や洗腸による体内浄化と脊椎調整については、
今のところできずにいます。

これは、体内浄化を必要とする患者の前提が、
便秘のある場合と書かれていたためであり、

ヴィーガンになって以来便秘とは無縁の僕には、
これらは必要無いと判断しました。

また、オステオパシーについては、
自分ではできませんし、施術施設が見つからないため、
試すことができていません。

これについては、機会があれば試したいと思います。

また、外用療法についても、当初できずにいましたが、
食養生に遅れること3週間ほどで、
自己流ですが開始しました。

ビタミンEの含まれたオイルが適していると解ったので、
未精製のホホバオイルに
ナツメグのアロマを加えたもので患部をマッサージし、

症状の酷い部位については、
濃縮発酵酵母エキスを天然水で希釈したものを塗布し、
酸化還元療法を行っています。

このようにして、
まだ一ヶ月と12日ではありますが、

ほぼ完全な食事療法と、
その他自己流の追加療法によって、
僕の乾癬症状は、かなり軽くなりました。

一番驚いたのは、
患部の痒みが殆どなくなり、
鱗片の厚みも薄くなったことです。

以前、海外のサイトから、
乾癬用ホメオパシー液剤を取り寄せて使用したコトがありましたが、
そのときは、まったく効果を感じませんでした。

それと比較しても、
エドガー・ケイシー療法は体感できる凄さが半端ではなく、
全快も十分に目指せる気がします。

そしてさらに嬉しいのは、
痛んでいた頭皮部分の毛髪が、
太くなってきたことです。

もしかしたら、
髪の薄くなった頭頂部の再生も叶うかもしれません。

若い頃のようなフサフサな髪をイメージし、
さらに明るく前向きな生活を、心掛けたいと思います。

ところで、この投稿を書くにあたり、

一ヶ月前に読んだ資料に再度目を通す中で、
うっかり読み落としていた食養生を見つけました。

カフェイン摂取もNGだったのです。

妻も娘も、おいしいコーヒーを淹れてくれるので、
朝一杯だけではありますが、
ついつい、毎日飲んでいました。

確かにカフェインは、胃液の分泌を増加させるため、
腸の敏感な乾癬患者には不向きでしょう。

カフェインを含有する食品としては、
コーヒーは有名ですが、

緑茶の茶葉を使った飲料全般に含まれ、
ココアやチョコレート、コーラにも入っています。

僕の大好きなストレートチャイも、紅茶がベースなのでNGです。

また、脳血管を収縮させる作用もあるため、
市販の鎮痛薬や風邪薬、乗物酔い薬、栄養ドリンクなどにも
カフェインが配合されています。

わが家の常備薬を確認したところ、
無水カフェインという記述がありました。

風邪をひかないように、気をつけなければなりません。

カフェインの件については、
今日から取り入れようと思います。

そして、さらに好転した状態を、
近い将来、皆さんにお知らせするコトをアファメーションに加え
今日からの治療を楽しもうと思います。

乾癬との生活…その3

退職したのちに沖縄に引越し、
自営業者となった僕の生活は、大きく変わりました。

2つの手術は既に終えており、
温暖な気候も手伝って喘息発作も殆ど無く、

前職のストレスから解放された乾癬も、
以前のように、頭皮と足の先、
そして膝下だけに落ち着きました。

視界が真っ白になる問題は残っていましたが、
片目は手術で改善していましたので、
夜間に運転さえしなければ、支障無い状態でした。

その後、偶発したパニック障害の治療を通じて、
フラワーレメディと出合ってから、
日々のセルフケアの大切さを知りました。

花療法ひかりあめをはじめたのは、この直後でした。

自然界の偉大さに敬服した僕は一念発起し、
この療法の独学を本格的に始めました。

さらに、この療法の継続の中で、
未手術のままの左目の視力も回復し、
夜間の運転も難無くできるようにもなりました。

そして、多くの関連文献を読む中で、
開発者エドワード・バッチが花の療法と出合う以前に、
興味深い論文を書いていることを知りました。

それは、
「乾癬の再発見」というモノでした。

難知性のこの皮膚病は、
ホメオパシーの開発者であるハーネマンも、
随分手を焼いたようであり、

彼に刺激されたエドワードも、
自らの慢性病研究と結びつけ、
治療と並行した食事療法の大切さを唱えたのです。

これをきっかけに僕は、
エドワードの論文に倣い、
自分自身による人体実験を始めました。

動物性食品と決別し、ヴィーガンになったのです。

肉類だけを排除し、
乳卵摂取を可とするベジタリアンではなく
ヴィーガンは、すべての動物性食品を摂りません。

この決定的な生活習慣のシフトで、
乾癬の症状は頭皮だけに落ち着くようになりました。

ただ、こうして文章にすると簡単に見えますが、
実際には、肉食に慣れた味覚を菜食に切り替えるために、

代用肉を使ったり、味付けを工夫したり、
随分苦労はしています。

その中で発見した、
白ゴマペーストと味噌、昆布出汁による調味は、

しっかりとしたコクを求めていた当時の僕の味覚を、
十分に満足させてくれました。

そして、こうした食生活を続けるうちに、
味覚は植物性食品の微細な味を堪能できるようになりました。

味覚細胞は、3週間ですべて入れ替わるそうです。
ですから、この細胞の刷新さえ乗り越えることができれば、
どんなに肉好きの人々も、食生活を変えることが可能です。

そして乾癬治療に関する、
最後となる決定的な出合いは、エドガー・ケイシー療法でした。

彼は、そのリーディングの中で、
乾癬を完治させる方法を、幾つか述べていました。

それによると、
ヴィーガンは理想的な食生活ですが、
それだけでは不完全であり、

さらに、ナス科の植物を食べてはならない等の、
新たな課題があったのです。

ヴィーガンやベジタリアンにとって、
ナス科の植物は、無くてはならないモノです。

ナス、ジャガイモ、ピーマン、パブリカ、
そして、シシトウや胡椒、唐辛子等がそれにあたります。

また、小麦粉も控えなければならず、
バナナ、イチゴ、メロン、アボガドも減らす必要がありました。

全ての炭酸飲料も飲んではならず、
いかなる強いアルコールも口にできません。

また、どんなにヘルシーな素材であろうと、
揚げ物は一切だめです。

これだけの制限があると、
コンビニエンス・ストアで買えるモノは、
何も無いと言っても過言ではないでしょう。

また、浄水とハーブティーを沢山摂取し、
必要なら浣腸も使い、
腸の浄化を、強く勧めています。

エドガー・ケイシーによると、
乾癬患者は腸壁の薄い部位から毒素が血中に巡り易いため、
ナス科植物に含まれる極微細な毒物に反応するのだそうです。

ですから、毒素を体内に入れないことと、
すでに溜めているモノを排毒することこそが、
彼の療法の基本なのです。

そして、カルマを知り、
感謝の日々を送ることも大切だと言います。

宇宙には、作用反作用の法則が常に動いているため、
前世で未解決の問題を、

新しく宿った生命と環境の中で、
魂は体感し、克服しなければなりません。

この件については、将来、もっと突っ込んだカタチで、
お話しすることになるでしょう。

この療法で多くの乾癬患者を完治に導いた
ジョン・O・A・バガノの文献では、

これらの厳しい食事療法を3ヶ月続けると、
数十年来の乾癬も消えるとあるのです。

試してみる価値はあります。

すでに、乾癬との付き合いが半世紀を越えたこの僕に、
一体どんな変化があるのか、楽しみでなりません。

→明後日に続く

乾癬との生活…その2

身体全部に患部が広がって、
解ったコトがありました。

症状は、背骨を中心とした左右対称に出るという点、
そして、肌の擦れる部位や、
発汗の多い場所が悪化し易いという点です。

痒い場所と、そうでない場所があり、
患部はどこも、皮膚がウロコ状になって剥がれ落ちます。

保湿をしてやると、
ウロコは消えるように見えますが、
皮膚の赤味だけが残り、

乾燥すれば、またウロコ状に戻ります。

自然に落ちた燐片のあとは、皮膚が赤味を帯び、
すぐに次の燐片が育ちはじめます。

無理矢理剥がすと出血し、皮膚はダメージを受け、
頭皮の場合は、皮膚と一緒に毛も落ちます。

出張を何とか終らせて自宅に戻り、
色々探して、評判の良い皮膚科に向かいましたが、

今度はそこで、心無い医師から、
温かみの感じられない宣告を受けるコトになりました。

乾癬という病名を、そこではじめて彼から聞き、
欧米に多い病気で原因は解っておらず、
好転はしても、完治は無いと告げられたのです。

そして、身体の部位ごとに、
違うタイプの軟膏を処方されましたが、

自分では手の届かない患部を、
誰かに処置してもらうのがイヤでした。

患部を自分で見るのも気持ちが悪かったので、
自分以外の人を、
不快な気持ちにさせたくなかったからです。

手の届く範囲は、自分で薬を塗りましたが、
一時的に効果はあっても、
すぐに元のウロコ状に戻ってしまいます。

また、主治医の助言を信じ、
患部を清潔に保つため、
入浴ごとに身体を石鹸で洗いましたが、

石鹸に含まれる界面活性剤との相性が悪いことを知り、
流水で洗い流すだけにしてみたところ、
それだけでも、症状が軽くなりました。

仕事のストレスを感じないよう自己暗示に努め、
化学物質による不自然なケアを止め、

肌に化学繊維を触れないようにし、
動物性食品や刺激物を控え、

発汗しても乾き易く、皮膚に摩擦ストレスを感じさせ難い、
風通しの良い服を着るようにしたところ、

身体中のウロコは、
少しずつ消えていきました。

しかしなぜか、
頭皮と足の先、そして膝下だけが、
最後まで消えないのです。

特に頭皮の症状は頑固で、
ストレスを感じると、皮膚の剥がる瞬間を感じるほど、
僕自身が敏感になりました。

発症して15年後、今度はストレスで目をやられました。
水晶体の中央にヒビが入り、眼球内で光の乱反射が起こって、
視界が真っ白になってしまったのです。

特に症状の酷かった右目だけは、
早急に手術をしなければ、
仕事も、普通の生活もできない状態でした。

そして追い討ちをかけるように、
顎が動き難くなりました。

重度の顎関節症であり、
こちらも手術を受ける必要があることも解りました。

もちろん、乾癬は好転するはずもなく、
再び手足に症状は広がり、

持病の喘息による発作も、要所要所で起こり、
僕は、薬漬けの毎日になってしまいました。

これだけの問題が、
身体のあちこちでイッキに起こっている自分を
冷静に見つめた僕は、

自分の人生の歯車が、
完全にズレているコトを確信したのです。

会社の開発部門を任された取締役でもありましたが、
退職の決断に時間は要りませんでした。

→明日に続く

乾癬との生活…その1

笑ってますか?
唄ってますか?
ゆうすけです。

僕は、フラワーレメディで、
自分の持つ色々な問題を克服して来ました。

パニック障害と白内障については、
まさに、フラワーレメディだけによる治療でした。

前者の場合は、意識して治療しましたが、
後者の方は、治療継続の副産物として得られたモノで、

眼科医からも改善は無いと釘を刺されていましたから、

症状が消え、水晶体に透明度が戻ったときは、
嬉しいと同時に、信じられませんでした。

この2点については、完全に治ったようで、
ぶり返す気配すらありません。

そして、昨日お話しした喘息については、
この療法と環境の改善を並行させる必要があり、

今でも条件が揃うと、軽いとはいえ発作も起こります。

カビや埃、花火の煙、急激な身体の冷えなどが、
その要因のようです。

しかし、これらの条件はどれも、
健全な生活環境ではありませんので、

空気が無ければ誰でも呼吸困難になるように、
人間として当たり前の反応が、
他の人より、少々早く現れるだけとも言えます。

そんな意味でも、
病歴に関して言えば喘息と同じくらい長期に渡り、
供に生活をしている病気が感染です。

僕にその病名がついたのは、25歳のときでしたが、

振り返ると幼少の頃から、
特に頭皮を中心に、その問題を抱えていました。

僕は記憶していませんが、
母親の話しでは、ある日突然、
頭頂部に悪性の湿疹ができたそうです。

白いカサブタのようなもので、頭皮が覆われました。
医学的には、これを鱗片と呼ぶのですが、

それは、魚のウロコのような剥がれ方をする、
けして気持ちの良いモノではありません。

当時、僕の住んでいた地域に皮膚科は無く、
母親はかかりつけの内科医に僕の症状を診せたところ、

一種のアレルギー性疾患だろうとしか、
言われなかったそうです。

特に何の処置をしたワケでもありませんでしたが、
症状は少しずつ軽くなり、
殆ど気にならない状態にまで、一旦改善しました。

中学生になった頃、
いわゆる自分の容姿が気になりだした頃ですが、
問題が再び出るようになりました。

乾癬症独特の鱗片が、フケのように肩に沢山落ち、
学校の友達に指摘されはじめたのです。

おそらく、小学生時代にも、
同じ問題はあったのでしょうが、

自分の容姿など、どうでも良い時代ですし、

小学校は服装が自由でしたので、
明るい色の上着ばかり着ていたコトもあり、
肩にフケが落ちても解らなかったのでしょう。

しかし、中学生は紺色の学生服を着ます。
肩に白いモノがあれば、目立ってしまうのです。

僕は、友人にバカにされるのがイヤで、
母親に嘆くようになりました。

彼女は薬局と相談し、
フケの改善薬やシャンプーを色々と試しましたが、
何をやっても全く改善しませんでした。

そのうち、学生服を着ないという選択肢をとり、
対処すること自体を諦めたのです。

そして、25歳のとき、
仕事で入った現場の影響で、
その症状は、最悪の状態になりました。

そこは、人工大理石を作る工場でした。

工程の一部を自動化するためのロボットを納品するため、
僕はその現場に出張していたのですが、

ロボットの設置場所は、
シンナー溶剤が高濃度で空気中に充満しており、

制御盤の塗装が剥げるほどの、強烈な臭気でした。

そこで働く人々は、肝臓の負担を軽減するため、
一定時間仕事をすると、
現場から出ることが義務付けられていましたが、

僕には、その義務が適用されず、
数週間に渡って毎日10時間以上、
そこから出ることもできませんでした。

ストレスは多大でしたし、
毎日二日酔いのような状態が続きました。

そして気付くと、
体中の皮膚が、鱗のように剥がれはじめたのです。

→明日に続く